しあわせこころのつくり方

心と魂の癒しのために

この世に花を咲かせるために


この世界に生きている以上
老いを迎えることは当たり前

病を患うこともあるし
友達や家族と喧嘩をすることもあれば
仕事が思うように捗らないこともある

問題が生まれるのも当たり前
幸せばっかり訪れるわけはない

 

そもそも命は尽きるもの
それが大前提ならば
今 生きているこの瞬間
体が動くこの時間
余計なことに心煩わせず


思い切り愉しむ方がいい

役に立たない人と
思い込んでいるのは自分だけ
どんな人であっても
関わりがある限り
誰かの力になっているし
誰かの役に立ってきた

 

その笑顔が誰かを照らす
その優しさが誰かを癒す

 

誰も見てないその道で
吸い殻一本拾ったなら
地球のお庭を掃除した
あなたを讃える神がいる

 

あなたはあなたでいるだけで
貴重で尊い存在なんだと
あなた自身が気付くこと
それだけで
幸せの花は開いていくよ

光の花が咲き誇る世界に

変えていくことができるかもしれないよ

 

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神様は覚えているんだよ

この世界『地球』には、

驚く程にたくさんの神様がいらっしゃる。

 

宇宙をみれば、

一つの星に一つの神。

せいぜい二つ神で、

その星を司っているのに、

この地球は他とはちょっと違っていて、

本当にたくさんたくさんの神様が棲まわれているんだ。

 

この地球でしか出逢えない神様も大勢いらっしゃる。

だからね、

今生、この世界に在るうちに、

いろんな神様にご挨拶をしにいくことは、

きっと魂生を愉しむことにも繋がるはずなんだ。

 

「あれ?この神様知ってる気がする」と思ったら、それはきっと前世でお会いしているんだね。

人としての前世の時なのか、

魂として存在していた時に

宇宙のどこかでお会いしていたのかはわからないけれど、

きっとどこかですでにお会いしているんだよ。

 

 

…………

 

前にも書いたと思いますが…

私が幼稚園児だった頃、

何度か登った大山の「大山阿夫利神社」に、

数十年ぶりにお詣りに伺った時のこと。

ご本殿を前に手を合わせた瞬間に、

「久しぶりだね、朋子ちゃん」とお声が聞こえてきたのです。

 

15歳の時に改名し、名前が変わったので、

少なくとも30年は、その名前を呼ばれていなかったので、「はて?」と一瞬思ったものの、

あ、私のことかと思い出し…

思い出した瞬間に、なんとも言えないありがたさに涙が溢れてまいりました。

 

『神様は覚えている』

ということを、はっきりと認識した時でした。

 

でもそれは、数十年の話でしょ?と思うなかれ。

だってね、

前世を知りたいとか、

守護霊を知りたいなどで、

ご相談にいらした方を観させていただくと、

少なからずの人に、

前世でご縁のあった神仏が、

今のあなたの護りに入っていることがあるのですもの。

 

 

神様は覚えていますよ。

あなたとの約束。

あなたのことを。

 

忘れちゃってるのはこちら側だけ。

それでも、

神様は怒らないし、嘆かないし、

笑ってね…見守ってくださっているんですよ。

 

 

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神様の心 

想像してみてほしい

 

あなたが大切に思う存在から

悪態をつかれたり

ひっかかれたり

噛みつかれたりしたら

どう思うか…を

 

 

あなたが大切に思っている相手が

自分自身のことを蔑んだり

嫌いになったりしている姿は

どのように映るだろうか…と

 

  

"神様には心がないと思う?"

 

 

 

相手の立場に立って

物事をみることの大切さを

私たちは案外

子どもの頃から教えられてる

 

できてるかどうかは別として

そのやり方は知っているはず

 

だとしたら

神様の立場に立って

自分を見てみようか

 

 

あなたが神様の立場なら

あなた自身のことをどう思うだろう

世界に生きる人々のことをどう思うだろう

今の地球のことをどう思うだろう

 

 

私たちの心の奥には

間違いなく

神様の心が宿ってる

 

それを使いこなさぬままに

この生を終えていくのか?

 

いつまで甘えて生きる?

この生がいつまで続くかもわからないのに

 

いつまで自身の魂を

置き去りにして生きる?

いつかは間違いなく

その魂と向き合うことになるのに

 

 

私の中に宿る魂の声を

人としての私の声に繋いでいこう

 

別のものにしない

私と私の魂を

別々の存在にしないよ

 

 

私という人間の中に

私の魂が宿る

私の魂は

神様の心を引き継ぐ光

光であるということの意味を

思い出して生きていくんだ

 

 

神様の心を

受け継ぐものとして

 

 

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ご質問へのお答え〜魂を生みだすことについて〜

Q. 私は、子どもを産めません。

でも、魂が約束しているならば、

何としてでも産まなければならないということですか?

 

Q. 子どもを産まず、50を過ぎてしまいました。

私が産む約束をした魂は、私のことを、恨んでいるでしょうか?

 

A. 何としてでも産む必要はないのです。

地球では、思った通りに事が運ばないことを、

肉体を選ぶ際に聞いています。

ですので、親子になる関係を約束する時にも、

場合によっては、生み出せないことがあることも了解済で約束をするのです。

 

約束が果たされなかったとしても、

恨みもなければ、憎しみもうまれません。

そういうものだからです。

 

なんなら、子どもで生まれる約束をしつつ、

生み出されずにいる魂さんは、天の上(肉体をもらうための場所)から、

先に地球に生まれていったあなたを、応援していたりもします。

「あ〜…あの人、大丈夫やろか?

誓っていたこととは、だいぶ離れた生き方してはるな〜…届くかどうかわからへんけど、とりあえず、応援しとこ。がんばれや〜」なんて感じで…

 

 

だから、子どもが産めない体になってしまったとしても、歳を重ねて産むタイミングを逃してしまっていたとしても、

誰もあなたを責めませんし、それは責められるべきことでもありません。

この地球上で生きてるうちに、そういう流れになっただけ…のことです。

 

 

魂そのものは “光”そのものです。

それぞれの親神様が愛を込めて産んでくださった光の珠人たちです。

 

そんな愛ある光の存在が、この世を体験しにくることを選んだだけのこと。

それなのに、どうして、誰かを恨んだり、憎んだりするでしょう…

 

 

責める心を持つのは神仏ではありません。

自分自身の心です。

 

神仏は”赦し”を学ぶことを促してはきますが、

縛ることは決してしません。

 

 

どのような道を選んだとしても、 

それは、魂を乗せている自分自身が決めたこと。

 

過去のことは変えられませんが、

受けとめ方を変えさえすれば、

すべてが学びになり、経験になります。

 

その学びから、これからの未来を、

よりよいものに創りあげていくことができるはずです。

 

囚われを外して、

自由に

シンプルに

美しく

愉しみながら

「生きる」を重ねていってくださいね🍀

 

 

 

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神笑ふ

先日のこと

 

私に御神託が降りた当初から数年の間、

一緒に御神事を行ってくださっていた方々と、

お会いする機会がありました。

 

どうしても、今、伝えておかなければならないことがあって…

 

 

そのメンバーの中には、

当時はお会いしていない方がいらしたのですが、

とても大切な役割を抱いておられて、出逢われていらっしゃるので、ご一緒に集っていただき、

お話しをお伝えさせていただきました。

 

私からのお伝えを終えた後、

その方のご神縁とのことで、

思兼神が降りていらっしゃいました。

 

 

降りていらした時から、

どうやら思兼の神さまは笑っていらっしゃるように感じたのですが、

みなさんにお話を始めようと私に入られ、

口を開いた瞬間から、

思兼の神さまは大笑いをされたのです。

 

ワッハッハッハ

ワッハッハ〜と大きなお声で笑われるので、

そこに集っていらしたみなさん、

最初は何事?と思われたような表情をされたのですが、そのうち、つられて大笑い。

みんなで大きな声で笑っていたら、

思兼神さまは仰いました。

 

「そうじゃそうじゃ。こうやって笑うんです。

面白がって笑い飛ばすことが大事なんじゃよ。

大きな声で笑うと、自然と深い呼吸をするでしょう。大きく息を吐いて息を吸ってが当たり前になる。そうやって、息を巡らせることが生きるに繋がる。

この世界は、可笑しいことだらけでしょう。

可笑しいんです。

あれもこれも可笑しいことばかりじゃ。(ここで、この家のリビングに置かれたお孫ちゃんのおもちゃを指差す)

この世界はね、矛盾だらけだからね。その矛盾が可笑しいなぁ〜と笑うんですよ。

笑うとね、中に詰まったエネルギーが噴き出してくる。そうするとね、智慧が湧き上がる。

問題があっても、深刻にならずに、その問題が起こることそのものが可笑しいなぁ〜と、一度笑って、笑い飛ばして、そこから、そこに問題や課題があるなら、どのように対処していこうかと思考を使って考え、行動に移すんですよ。」

そのようなことを仰いました。

 

 

笑顔でなく

ふふふ…と笑うでもなく

『大きく笑う』

笑うことでエネルギーが満ちてくる。

 

そういうことなのですって。

 

 

みなさんは、最近、大笑いしてますか?

 

神さまが降りて話している時の自分の姿は、

私自身には見えませんし、

話の内容をすべて覚えていられるかというと、

そうではありませんが、

神様が降りていらした時の感覚は、

私の身体の中に残っています。

今回の思兼神さまの大笑いをした時の感覚を思い出すと、なぜか、それだけで可笑しくなってきて、クックック…と笑いが吹き出してきそうになります😆

 

面白がる

可笑しがる

これって、

子どもの時の感覚ですよね。

 

子どもって、なんでこんなことで笑うの?っていうことで、笑い始めて、大笑いして止まらなくなることがあるでしょう?

 

その感覚と同じなんです。

 

すべてに興味を持ち

好奇心を持っている子どもは

神さまと同じような感覚を持っているんだ❣️

と、知った夜でした。

 

 

笑うって

すごいです😊

 

 

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笑ってにゃ😽

 

魂を生み出す=子どもを授かる

このところ、似たような案件に出会うので、

こちらにも書いておこうかな・・・

その前に、いつものことですが、これは私が神様から聞いていることであったり、私の本体(魂)が知っていることなので、決して、すべてに当てはまるわけではない可能性があるということをお断りしておきますね。

 

 

ご質問の内容は、

「私は、こどもを産む約束をしてきましたか?」

「約束してきたのに産まなかったら、その子はどうなりますか?」というものです。

 

 

ズバリお答えいたします。

ほとんどの女性は、子どもを産む約束をしてきています。

子どもを授からないと決めた魂は、

相当なお役目を地球上で担う約束をお待ちです。

 

たとえば、

マザーテレサとか

ナイチンゲールとか

ヘレンケラーとか…

 

 

子どもを産む約束をしてきたと聞くと、

「え!私ヤバイじゃん💦」と思われる人も大勢いらっしゃると思います。

体調の問題から、生みたくても産めない人もいらっしゃるでしょう。

なのに約束してるの⁈と思いますよね。。。

 

過去記事を読んでいただくと、お分かりになると思うのですが、

肉体という器を選ぶ時に、

親子の縁、夫婦の縁となる魂仲間を選びます。

 

地上に先に降りる魂が肉体という器に魂を乗せ、人間になって誕生します。

そして、約束した魂さんを受け入れる準備を進めるのですけれど、人間ですからね…整わないことも多いんですよね。

 

親となる役割をした人が、子どもを産む選択をしなかった場合はどうなるのでしょう?

 

子どもとして生まれてくるはずの魂さんは、

ご縁のループ🔁からあぶれてしまったわけなので、仕方なくうつしみの星(うつしみの星というのは、仮称で付けた名前です。詳しくは過去記事読んでね)で、次に親子となれる魂さんとの出会いを待ちます。

ずっと待っても、ご縁が繋がらない場合はどうするのか…

仕方がないので、本来の自分の星へと一旦戻っていきます。

自分の星に戻れずに輪廻転生を繰り返している魂であるならば、うつしみの星に来る前の場に戻ったり、もしくは、うつしみの星の別の場に移動することもあります。

 

ですので、

子どもを授かるかどうか…という問いをいただいた場合、ほとんどが、「はい。あなたにも、次の魂をこの世に生み出すお約束がありますよ。」とお答えするのです。

 

自分の子どもと思うから子育てに難儀するのでしょう。

次にこの地球に生まれてきたいと思っている魂を命ある人の形で生み出す…となると、

意識が変わりませんか?

 

あなた自身もそのようにして生まれてきた魂ですし、これから生まれくる命たちも、

切望して、願いを持って生まれくる魂です。

その連鎖がこの世界の『命』というものであると知ったなら、人との関わりや、子どもの扱いが変わっていくのではないか…そんなことを思います。

 

でもね、私自身、子育てをして、息子は大人になりましたが、そんなに立派な子育てはできていないと思います。

試行錯誤して、命を預かり、命を守り、命を育てているのは、きっと誰もが同じでしょう。

それでも、子どもを生み育てることは、

何よりも大切で重要な神事なのだということを、

知っていただきたいと思うのです。

 

 

ちなみに、今回の内容に関連する過去記事のリンクを以下に貼っておきました。

 

ご覧になったことのない方は、

ぜひ、順番にお読みくださいませ🙏

 

 

 

 

 

過去記事 2023.2.9〜

『地球に生まれしひと 1〜5』

『地球に生まれしひと〜流転1.2』

『地球に生まれしひと〜流転の果てに』

 

 

↓ 以下のリンクよりお読みいただけます。

 

『地球に生まれしひと』

https://nekota-nekokichi.hatenablog.com/entry/2023/02/09/133421


 https://nekota-nekokichi.hatenablog.com/entry/2023/02/10/171413

 

https://nekota-nekokichi.hatenablog.com/entry/2023/02/12/191953

 

https://nekota-nekokichi.hatenablog.com/entry/2023/02/13/113554

 

https://nekota-nekokichi.hatenablog.com/entry/2023/02/13/214531

 

『地球に生まれしひと〜流転シリーズ〜」

https://nekota-nekokichi.hatenablog.com/entry/2023/02/14/202626

 

https://nekota-nekokichi.hatenablog.com/entry/2023/02/15/205659

 

https://nekota-nekokichi.hatenablog.com/entry/2023/02/16/212549

 

 

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闇も光もありてあるもの

2024年立春を過ぎ、

今年の気運が本格的に流れ始めました。

今年の本流は『和合』

そして和解へとつながっていきます。

 

 

この世界は、陰と陽、光と闇、善と悪のように、二元的に分ける物事が多く存在します。

これらのように二元的な分け方をするのは、

私たち人間の思考によるものであって、

光と闇は一対のものです。

コインに裏と表があるように、

光と闇もそれと同じようなもので、

どちらか一方だけだとバランスを崩し、

調和がとれなくなってしまいます。


光ばかりだと、それがどれほど素晴らしく、

大切なものであるのかわからなくなってしまうからなのでしょうね。

 

 

この地球上は現し身の世界ですので、

現実の世界に生きているのに、

スピリチュアルに偏り過ぎてしまうと、

社会通念から離れ過ぎてしまい、

周囲とのコミュニケーションに問題が生まれてしまいます。

反対に、

目に見える世界のことしか信じられないと、

物質主義になりがちで、感謝や思いやりに欠けやすくなるもののように感じます。

ですので、目に見えることも目に見えないことも、両方あって、同じだけ大切にすることが、

ちょうどいい塩梅なのです。

 


この地上の生活は、苦しみや悲しみなどが多いため対立や分断も多く起こります。

けれど、愛と光に満ちた本来の自分に還ることによって、

人である私たちは「肉体を持った魂」として、

自分自身の人生をよりよくを生きることができるようになるのです。

 

 

では、愛と光に満ちた本来の自分って、

一体、どんな存在なのでしょう?

本来の自分=魂存在とするならば、

本来の自分は、善も悪を区別するべくもない

愛という『光』そのものです。

 

本来の自分=そのままの私 

ですが、人間であると、これがまた難しいもので、自我の自分で「そのままでいい」となると、

単なるワガママになってしまいます。

 

ちょっと横道に逸れますが…

自我の意味をちょっと調べてみると…

社会的存在を等して意識された自分自身。

(エゴ訳語として)他人と異なった独立した存在として、自分自身を認識すること。

(哲学)宇宙に存在する他のいっさいのものと区別し、対立する存在として認めた自分。

と記されています。

 

 

肉体を持って生きていると自我に囚われてしまうものとであることは、過去記事でも書いてきていますが、

自我が良いとか悪いというものではなく、

その判断をしているのも、自我であると捉えていただけるとわかりやすいかと思います。

起こってはいない未来のことを心配して不安になったり、過去のことを後悔したり、

また、怒りや不安の感情などに囚われるのも、

自我の働きによるものです。

 

自我という意識がないと、社会的なルールを作る必要性や、秩序を保つことも困難になってしまうので、自我はなくてはならないものです。

自我が強くなり過ぎる=エゴイストとなると、諸々、問題が起こってくるのです。

 

さて、そのようなエゴイズムな思考により生み出される問題を、どのように扱うとよいのでしょう。

そもそも、エゴイズムが生まれるのは、

人の心の行き過ぎた自我(エゴ)によります。

 

どんなに正義をかざしても、

それが、誰かの命や存在を侵すものであるならば、それは光ではありません。

他者を思う気持ちからだとしても、

その心は闇に傾いている状態の意識から発生しているものです。

 

人の心に潜む闇をどのように扱うとよいのか…

 

闇も自分の一部として包括し、

光という愛でその闇を照らすことです。

 

まだまだこの世界は矛盾に満ちているので、

簡単に問題は解決しないでしょう。

けれど、一人の意識が変わることで、

少なくとも、その人の周りの人たちの意識が、

少しずつ変化していくことを知っていてください。

自分にはそんなチカラはないと思わないでね。

諦めたらそこで終わり。

でも、信じて続けていく限り、

その思いを受け継ぐ人たちが、

この先にも生まれていくことに、

希望を託せると思います。

 

光と闇は一対です。

だから、自分の中にいたらない思いがあっても、それは必要なことと受けとめておいてください。

当然、自分だけでなく、他者に対しても、同じように、赦しの心で受けとめていきましょう。

 

 

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(追伸)

本当の問題は

故意の悪意

破壊

魔…という

光と闇とは

また別の次元の話なのです

 

 

 

 

昨日の祈り合わせの御礼と報告

昨日2月2日 午前11時11分

こちらのブログでお願いしておりました祈り合わせにご賛同くださいましたみなさま

ありがとうございました。

 

私は、鎌倉の長谷寺へ、

東日本大震災当日、私のもとへいらしてくださっていた東京の友人と、長い年月、紆余曲折ありながらも、神仏の道を信じ、祈り続けてくれる仲間とともに三人で行ってまいりました。

 

時間よりほんの少し前に、

観音様の御前に立たせていただき、

心を調え、手を合わせましたところ、

あっという間に、風とともに祈りを受け取りにい

らしてくださいました。

 

でも、まだ時間になっていないかも…と思い、

新たに祈りをお伝えしておりましたら、

各地でお祈りしてくださっている方々の気が集まり(まるで元気玉を作ってるみたい☀️

…またまたドラゴンボールでごめんなさい😅)

そうして、上に向けて合わせた両手の掌に、

きらきら光る大きな玉のような渦が集まって、

たくさんの方のお顔が次々と見え、消えていったところで、観音様が降りてきてくださり、

その光の玉(祈りの玉)を、すべて持って上がっていかれました。

 

 

知っているお顔、

どこのどなたか存じ上げないお顔、

本当にたくさんの方のお姿が浮かび、

ありがたさに、胸がいっぱいになりました。

 

 

自分のことばかりに目が向いて、

他者への思いやりが失われている人も多い

この現代社会で、

こんなにもたくさんの方が、

見知らぬ方のために祈りを捧げてくださることに

世界はまだ大丈夫と思える気持ちが湧いてきます。

 

 

お心を向けてくださいましたみなさま

心より感謝申し上げます。

 

みなさまのもとにも、

観音様の光が向けられ、届いているはずです。

 

どうぞ、これからも

観音様のお光とともに、

ご自身の慈悲の心を育み、

調和の道を歩み進めていってください。

 

 

ありがとうございました。

 

 

 

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2024年2月2日(鬼宿日)のお祈り合わせのお願い

その日の吉兆を表すものとして今でも利用されている代表的なものに『六曜』というものがあります。

「先勝」「友引」「先負」「仏滅」「大安」「赤口」 この六つが六曜です。

 暦を見ると、目にしますよね。

 

六曜は、もともとは中国で「時間」を区切る際に使われていた考え方で、日本に伝承された当初も時間の吉凶を占う指標として用いられていたといいます。

現代の日本では、日にちの吉凶を占う指標として利用されています。

 

六曜以外にも、その日の吉兆を表すものとして、インドや中国で発展した天文学や占星術における二十八宿というものがあります。

立派な暦を読むと、六曜だけでなく、二十八宿も記されてありますので、見たことない方は、

本屋さんで、大きめの暦をちょっと開いてみてくださいね。

 

さて、この二十八宿の中の一つに、

鬼宿日というものがあります。

(東方の青龍・北方の玄武・西方の白虎・南方の朱雀という東西南北を聖獣が守護している中で、

鬼宿日は南方の朱雀の方角に存在しており南の二十八宿となっています。)

 

 

鬼宿日(きしゅくび・きしゅくにち)は、

言葉の中に鬼という文字が入っているため、

良くない日と勘違いをされやすいのですが、

普段、家にいる鬼が宿に籠る日(鬼が外泊するということかな〜?)という由来から名付けられたもので、月に一度の頻度で巡ってくる吉日の一つなのです。

 

鬼宿日には、

『自分のやりたいことをやる』のが、最もよいとされています。

ただし、入籍、結婚だけはNGなのですって。

 

なぜ…?

家にこもっている鬼と、家に入る嫁が鉢合わせするから…という理由があるみたいですが、

ちょっと意味がわからないので、この辺のことはパスします。

ついでに、

『鬼宿日』にやるとよいことに関しても、

検索すると、いろいろ出てくると思いますので、

ここでは割愛させていただきますね。

 

 

さてさて、本題はここからなのです。

(上記は、今年の2月2日が鬼宿日だったのでオマケとして書いてみました)

 

 

2024年2月2日 午前11時11分

観音様への御神事を行います。

『突如として肉体を奪われてしまった命たちが、

迷うことなく光の道に繋がり、自らの魂の世界へと導かれ、還ることのできるように…』と。

 

お時間のある方は、同じ時刻に、祈りを共にしてくださいませ。

また、お時間に余裕のある方で、お近くに観音様をお祀りされているお寺さんがおありでしたら、そちらへ出向き手を合わせていただけましたら幸いです。

 

お祈りしていただきました最後に、

観音様の御真言をお唱えください。

 

『オンマカキャロニキャソワカ』三唱

『南無観世音菩薩』十唱

 

 

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渡岸寺観音堂(向源寺)

国宝十一面観世音菩薩像

滋賀県長浜市高月町渡岸寺50 

(写真はパンフレットより)