しあわせこころのつくり方

心と魂の癒しのために

わかっているつもり〜古き神々の存在〜

自分自身の成長を妨げてしまう

『つもり』

わかっているつもりであって、

実際は、わかっていないことって、

意外とあるように思いませんか?

 

 

何度も聞いてきた話や、

本で読んで理解した話は、

わかった気になっているだけで、

本当のところ、理解していないことの方が

ほとんどのように思います。

 

 

すべての物事は、多面的で、

一つの視点から見つめ、考えても、

その真実に迫ることは難しいものです。

ですから、どんな事象も、様々な観点から見つめ、理解を深めていく必要があるものだと思います。

 

 

このブログをご覧くださっているみなさまは、

たぶん、神様やスピリチュアルな世界にご興味があり、真理を求めていらっしゃる方が多いのではないでしょうか…

なぜなら、このブログに書いていることは、

一般的に知らされている話とはかなり違うことが多く、理解するのが難しい内容だと思うからです。

それでも、このブログをご覧になってくださるのは、とても知的探究心をお持ちの方々でいらっしゃるだろうとしか思えないのです。

 

そんなみなさまだからこそ、

わかっているつもり…の『つもり』から、

抜けていっていただきたいと、願うのです。

 

 

つもり…から抜け出すためには、

自分の本当の意思を認識することが大切です。

私は何を大事にしたいのか、

自分でしっかりと確認しておくことでしょう。

 

 

様々な本を読み、知識を積み重ねていくことは、

とても素晴らしいことです。

知見を広めるためにも、また、思考を重なるためにも、読書はした方がよいと思います。

けれど、誰かの意見をそのまま鵜呑みにしてしまうのは、危ういことだと、私は思っています。

それこそが『わかったつもり』状態になっているからです。

 

〜〜〜〜〜

現存する日本最古の書物は、和銅5年(712年)に太安万侶が編纂した『古事記』です。

さらに8年後 の720年に『日本書紀』が成立しました。

 

『古事記』は日本建国の物語や、美しい生き方を後世に伝えることを目的としており、特に古い時代の出来事に焦点を当てていると言われます。

一方、『日本書紀』はより詳細な歴史記録を残すことを目的としており、歴代天皇の事績を丁寧に記録しています。 
『古事記』は正史ではなく、天皇家の支配の正統性を語るものであると考えられており、

『日本書紀』は日本初の正史であり、中国の人も読めるように 正格な漢文で編纂されました。

↑ 

『古事記』『日本書紀』は、学校の授業で習いますね。中身は知らなくても、日本人なら誰もが聞いたことはあるはずです。

 

上記の最後の方に書かれていますが、

“古事記は正史ではなく、天皇家の支配の正統性を語るものであると考えられている” 

ということで、古事記であっても、それは、その当時の勝者側からみて作りあげられた書物だということなのですね。

 

今でこそ、歴史の裏側から光をあてる番組が作成されるようにもなってきましたが、

歴史というものは、基本的には、勝者側の視点で伝えられてきたものがほとんどでした。

 

実際、日本には、もっと古くからの歴史があり、各地に王と呼ばれるような存在もあり、さらには、もっともっと古くから、日本の土地に降り立った神がおられます。

 

古事記に名が連なる神々よりもずっと前から、

この日本に棲まう神々が存在していたのですが、

それは、天皇を中心とした国造りの観点からいくと、表立っては語られたくない話になるわけです。

 

 

誤解のなきようにお伝えしておきますが、

私は決して、天皇家の系譜に物申しているわけではありません。

天皇家は、そもそもが国の栄えのために特別な祭祀をされる方々で、天皇家にのみ伝わる神事を司られていらっしゃる特別なご家系です。

天皇家の祖神は、天津神の系譜であられる天照大御神(日本神話に登場する太陽神)であるとされ、それは素晴らしい日本の象徴であられます。

 

ただ、天照大神がこの日本の国に最初に降り立った神というわけではなく、その前にも、もっとたくさんの光輝く神々もいらっしゃったのだよ…ということを伝えているだけです。

 

 

4月5日に行った御神事では、古き神々との交流とを持つことが必要となり、対話の時間もいただきました。

 

このところ、古い神々についてのお話を伺うことが増えました。

 

前にも書いたでしょうか…

 

この国には、

天津神・国津神 の他に、

此津神という神様がいらっしゃり、

此津神に属する神々こそが、

地球原始の神であるという…そんなお話から、

それら古き神々が、国譲りなどの過去の出来事によって、それぞれの場より追いやられ、

その力をも発揮できぬようにされているという話等々…

歴史を学ぶだけでは、まったく知らなかった話が飛び出してきました。

 

その真偽の程は定かではありませんから、

それを確認することも必要になりますが、

伺ったお話にそって、行動し、その場に向かうと、たしかに素晴らしい聖地に辿り着き、

そこに宿っていたであろう大きな御神気を感じるのです。

伺った話の通りのことが、目の前で起きることもあります。

 

 

わかっているつもり…でいると、

知り得ないことがたくさんある世界🌎

自分で枠を決めてしまうと、

それ以上のことには出逢えない世界に、

私たちは存在しているのです。

 

 

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