【Noblepinkさまのコメント】
・・・ずっと疑問に思っている事があります。 私は、春馬くんのことを生前はイケメン俳優と言う印象しかなかったのに、亡くなられてから何故か無性に気になり、悲しみがどんどん深まって行きました。 彼の遺した作品も片っ端から鑑賞しました。 私のように亡くなられてからファンになったり彼のことが気になって悲しくて仕方ないという人が沢山おられるようなのですが、このことにはどんな意味があるのでしょうか。 魂の繋がりのようなものがあったり、春馬くん(春蕾光明神様)の手助けをする使命などを持ち合わせていたりするのかなぁとおこがましいかもしれませんが、ずっと気になっています。 もしお分かりになるようでしたら教えて頂けたら幸いです。
*以前より、同じようなご質問を多数いただいている内容でしたので、記事にてお返事させていただくことといたしました。
直接の知り合いでもなく、生前ファンという程でもなかった人、そこまで知り得なかった人のことをなぜこんなにも思い、深く傷つき、悲しみが癒えないのか・・・
様々な推理や推察、心理学的見地からのアプローチなど、ネット上にあがっているようです。私も少しだけ、目にした記憶があります。(何が書かれていたか忘れてしまいましたが、そこに書かれていたことも一理あると思っています。)
私が知り得ていることがすべてではありませんので、あくまでも一つの説として受けとめていただけたらと思います。
生前より、素晴らしい役者さんだった春馬さん。
俳優としての彼の作品を見たことはなくても、NHK「世界はほしいものにあふれてる」のMCをしていた彼を見て、好感を憶えた方もとても多かったようです。
彼が亡くなってから、彼の存在の大きさを知り、彼の作品を観る機会が増え、彼の才能や人柄に惹かれる方が、私の身近にも大勢いらっしゃいます。
そのような方が過去にいらっしゃらなかったかというと、そんなことはありません。
歴史を振り返る中に於いて、偉人といわれる方々のすべてが、生前から、人々に愛されていたり、尊ばれていたわけではありません。
亡くなった後に、功績が讃えられ、崇められる対象となっていかれた方の方が、実は多いと言われています。
もちろん、生きていらっしゃる時から、たくさんの方から敬われていた方々ですが、
亡くなられて後、尚、讃えられ、崇められた方々です。
聖徳太子にまつわる逸話では、「太子さまがお隠れになった後、まるで日の光が失われたかのようと、民人は悲しみに暮れ、その年から数年間、農民は鍬を手に持つことすらできず農作物は不作が続き・・・」といったような話もございます。
それくらいに、亡くなられた後に、人々に影響を及ぼす存在という方が、この世にはいらっしゃるということなのです。
では、なぜそんなにも、亡くなられた後に、人心に強い影響を与えてしまうのか・・・
とってもシンプルにお伝えしますと、それは、その方々は、地球上に生まれる際に、大きな役目を担い、降り立たれた、地球上の神ではない『神』だからです。
以前、記事に書いたでしょうか・・・
(地球目線での説明とさせていただきます。)
日本という国を例にとっての話になりますが、日本には八百万の神々がいらっしゃいます。その神々は、天津神・国津神・此津神といわれ、地球(陸・海・すべての土地や地球上と地球界隈の次元)及び地球に存在する生命(人や動物、植物等)を護ったり、導いたりと、地球そのものの営みに深く関わる存在になります。
この神々は、人としてこの世界に生まれることはありません。
なぜなら、常に、地球と地球にまつわる存在を導き、守っているからです。
詳しいことは省きますが、地球という星は、受容の星であるがために、ちょっと厄介な存在まで受けいれることもできるため、問題が発生しやすい場になっているので、
地球にまつわる神々は、この星の調和と秩序のために、ご自身の陣(聖域・神域など)に在られるのです。簡単な覚え方として、古事記や日本書紀に出演されている神道の神様はこちらに属していると考えてください。
一方、生きている人々の困苦を救うため、また、戻れなくなってしまった霊魂を救うため、地球より遥か彼方の星(Ⅿ78星雲からきたウルトラマンではありませんが、そんなイメージでもOKです)からやってきた神々もいらっしゃいます。
こちら簡単に表しますと、観世音菩薩・地蔵菩薩・薬師如来・・・など仏教にまつわる仏様方になります。
地球上では、菩薩様や如来様といわれていますが、それぞれに、ご自身の星があり、そちらの神や王であらっしゃいます。
人としてお生まれになられた方としては、(私の知るところのみですが…)
聖徳太子、役行者、弘法大師、イエスキリスト…などとなります。
さてさて、さらに話を進めてまいりますと、春蕾光明神は、地球にまつわる神ではありません。人として生まれることが出来る神は、地球にまつわる神ではないからです。
神であるエネルギーを持つ方に触れると、その慈悲深さや美しくも優しい光に照らされ、人の心は本来の慈しみや愛のエネルギーを回帰させ、真の光を取り戻すための魂の行の道に入るといわれています。
行の途中には、悲しみや痛み、苦しみの派生いたします。
なぜなら、この世は苦界であり、その苦界に生きている凡夫は、光と闇の狭間にて、様々な波を受け、悲苦の中にあるからです。
魂の行に入られ学びを続けられる方は、真の光を取り戻し、その光にて、未だ、悲苦の中にある人に、手を差し伸べられるようになっていかれます。
手を差し伸べられる=寄り添える力となるのですが、寄り添える人になるためには、
人の痛みや悲しみ、苦しみに共感できる力が備わってなければなりません。
そのために、深い痛みや悲しみを体験することが必要となるのです。
ここで、春馬くんの話に戻しますと、春馬くんは春蕾光明という神です。
肉体という枠から離れた神の位の魂は、執着やこだわりをすべて拭い去り、本来の光(エネルギー)を取り戻します。
春馬くんという人としての生を終え、人としての行をすべて終える四十九日を境に、彼は、一旦、日美の星に還られましたが、すぐに地球に戻ってまいりました。
その際には、本来の光をすべて纏って、こちらに戻っていらしたのです。
その光は、春馬くんがこの世に遺した思念にも宿り始めます。
彼が遺したものすべてが、依り代となり、そこに以前よりもさらに強く優しい光が宿ることとなりました。
さて、その春馬くんが遺したものを感じとっていらっしゃるみなさまは、
先に書いてあるように、神のエネルギーに触れました。
今、みなさまに何が起こっているかと申せは、
真の光を取り戻すための魂の行の道に入られた・・・ということになるのです。
春蕾光明神のなさっているご神事については、どこまでお手伝いできることがあるかどうかは、今はお答えできませんが、春蕾光明神からのご神託があり、みなさまにお伝えすることがありましたら、こちらのブログに記載してまいります。
まずは、
日々の感謝とともに、神仏、大自然、先祖、家族、友人、周りにいらっしゃる方々と繋がっていられること。
和らぎの心にて、笑顔で生きていかれること。
それぞれの方が、それぞれの人生を全うされることが一番大切なことです。
身近にいらっしゃる方に愛と慈しみをもって、接してください。
そこに、和らぎの愛を育んでください。
和らぎの心にて、自らを調え、調和されてください。
そして、困苦に苦しみ方々へ、意識を向け、ご自身のできることをなさってみたください。
祈りは、大きなエネルギーになります。
祈りは、意乗り。神の意志に乗り一つとなる行為のことを申します。
世界が平和になるように
人々の心が優しさと慈しみを取り戻し、みなが愛の心にて生きていかれるように。
調和された世界になるように
祈ってくださるとうれしいです。
特別な祈りを、ともにしていただきたいとき、
こちらのブログにアップしてまいりますので、
お気持ちをともにしてくださる方は、
ご一緒に祈ってくださると、心強いです。
これで、ご質問のお答えになっていますでしょうか・・・。
もし、まだわからないことがありましたら、コメントを残しておいてくださいませ。。
【補足です】
聖徳太子(諡号)の存在について、1400年前のことでもあり、聖徳太子は実在しなかったという説もあります。また、実在したところで、その話が真実かどうかまで、検証できるものではないともされていますが・・・
ご神事を通して出逢ってまいりました太子さま(神さまとしては、日美さまとお呼びしている方です)のお話と、私が思い出した魂の記憶(軌跡)では、間違いなく、太子さまは存在しております。
私がこの地球に生まれてきた意味、ご神託を受けたり、長年ご神事を続けている理由は、すべては、日美さまが厩戸皇子(聖徳太子)としてこの世に生誕されたところから始まっております。
また、春馬くんと私の魂の本体は、日美の星にあり、こちらの世界でいうならば同郷なので、彼が亡くなった後でも、彼と繋がり、彼の話をお伝えすることができているわけなのです。
長くなりましたが、ご覧いただき、ありがとうございました。
月