神様
さて、神様って一体どのような存在なのでしょう?
日本には、八百万の神がおわすといわれますし、ギリシャ神話にもゼウスをはじめたくさんの神様方が登場します。
一方で、キリスト教やユダヤ教イスラム教など一神教の教えでは、神は全知全能の創造主のみとされています。
そもそも、神やGodという呼び名は、人間がつけた単なる名称、記号のようなものですが、そこにこだわり始めると面倒なので、ここでは、一般的な認識の中にある言葉を使って説明していきます。
まず、神というものは、エネルギーそのもの(光そのもの)を生み出すことのできる役割を担っている者です。
たとえば、人間は何らかの道具を用いてエネルギーを生み出しますよね。
電気を作るにしても、火を起こすにしても、水を作り出すにしても、何らかの道具を必要とします。
神といわれる存在は、それらすべてのエネルギーを自らの意思のみで創り出すことがらでき、様々な形に変化させることのできる力を持つ者です。
春馬くんの御魂は神さまレベルの方だったということについてお話させていただきますと…
三浦春馬くんとして生きていた時は、たとえ魂は神だとしても、人として生まれている間は、人間でしかありません。
広く信仰されている弘法大師や聖徳太子という方々も、魂は神でありますが、人間として生まれていた時は人間です。
素晴らしい教えを遺されているのは、御魂が神だから…ということに繋がるものかもしれませんが、
人間としての彼らが、深く学びを修め、智慧を尽くして、世の中のため、人々のために生きる努力をなさったからこそ、長き年月を経た今となっても、その教えの素晴らしさが遺されてあるのだと思います。
春馬くんのことに戻すならば、彼は、
人の世を知り得るために人間として生まれこの世を去った。
人間として地球に存在する期間を30年と定めていらした…ということになるのではないかと思われます。
そして、人としての生を終え、この世界から離れ、本来の魂の存在する場へと還った後、今度は、人間ではなく神という存在として、この世界に降りていらしたということになのだと解釈していただけたらよろしいかと思います。
以下は、自身の魂の願いを思い出すために自分でできること、やれることは何かという問いをいただき、お答えしたものです。一部抜粋し加筆して、こちらに載せておきます。
自らの自我(エゴ)を手放していくこと。
そして、自分の中心軸を思い出していくこと。
実は、これが難しいのですけれど…ね。
神仏と繋がっている感覚を、まずはしっかりと感じとることです。
光と繋がっていると思ってても、
別のものに繋がってしまうこともあります。
それが光の存在なのか、そうでないのか、それをしっかり知るために、俯瞰力を養う必要があります。
智慧の泉に繋がり生きること、それは行を積むということに他なりません。
日常を生きる中においては、なかなかハードルの高いことでもありますが…
大切なのは、自分自身の光をまず信じること。
他者の光を信じること。
謙虚さを失わず、感謝の心を持ち続け、赦す力を育むこと。
三浦春馬さんは、常に学びを得ることに意識を向け、ストイックなまでに自分に厳しく、自ら行動し続ける一方で、周囲には謙虚で誠実で心遣いのある方だということが、彼の周りの方が伝えている言葉で窺い知ることができます。
それはまさに行を積む人の生き方で、
彼は行者さんのような人だったのだな…と、私は思っていました。
……
昔、役行者さまから、
自分が…の「が」は、「我」だということを忘れなさんな。「我」は時に、自他を分かち、他者への思いやりを失くことへと繋がることを起こすのじゃ。
自立するとは、自律する心を持つこと。
エゴという自我を捨て、自らを正しく律し真の己(魂)とともにある自己として生きることじゃよ。
そう、お伝えいただいたことがあります。
小さな子どものうちは、自我の確立のために我は必要です。
自我を育てるとともに、他者への慈しみを育て、いずれ、自己へと成長していくことなのです。
ブログに書けることは、ほんのわずかなことだけですが、少しでも、お役に立つことがありましたら幸いです。
遊月