しあわせこころのつくり方

心と魂の癒しのために

言葉と言霊

近頃は、英語表記のカタカナ言葉が増えすぎて、その言語の意味がわからず、まずその意味を調べるところからはじめないといけないから、その時点で、もう面倒になっちゃうの…と、仰る方にお会いすることがあります。

特に、ご高齢の方はなおさらでしょう。

 

息子さんや娘さんから、「お母さんも考え方を変えた方がいい」と、本を置いていかれるんだけど、読む気になれないし、読んでもわからない言葉が多すぎて…。仕事に懸命に生きてる娘夫婦や孫達の話の中で、私だけ置いていかれてる感じ…と、ため息をつかれる方も多いのです。

 

今に始まったことではありませんが、

たしかに、増えたなぁ〜と思いますよね。

SDGsインクルージョンダイバーシティ

ウェルビーイング……

ビジネス界では当たり前の言語ですが、

触れる機会がなければわからないですよね。

 

私の母も、同じようなことを言っていました。

「普通の会話ができないの」と。

 

 

仕事柄、カタカナ言語と言われるものに出会う機会は早い方ですが、私はそういった言葉をあえて使わず、日本語で伝えることを意識してきました。

なるべく誰でも理解できるように、ひらがな言葉に直して伝えられるように。

 

言葉を用いての会話は、人と人の関わりの中(コミュニケーション)で、一番手っ取り早く理解できる手段であるはずなのに、そこに齟齬を生じさせてしまうのは、実にもったいないことです。

 

私の作った団体名を「和珠の道〜wanomichi〜」としたのも、和=和らぎという意味の他、

日本の…という意味をもたせたかったからです。

 

日本の言葉には、言霊が宿るということを聞いたことがある方はたくさんいらっしゃると思います。

 

その言霊に宿る美しい光を丁寧に紡いでいくことにより、万華鏡のような美しい曼荼羅図が生まれていることを、感じることがあります。

 

 

カタカムナというものをご存知でしょうか?

 

カタカムナは、今から約13000年前の上古代の東アジア一帯、特に日本で高度に発達したといわれる、言霊を元にした宇宙物理学のことだそうです。当時は日本列島がまだ大陸と陸続きでしたから、今のような島国にはなっていませんでした。

 

カタカムナでは、潜象界のことを「カム(神)の世界」、三次元の物理垢な世界(現象界)のことを「カタ(型)の世界」と言うそうです。

 

以下は、カタカムナのことを研究?されているサイトからの文章です。

 

全ての命や物質は「カムの世界」から生まれる段階で、質的に転換(ナ)した結果、命や物質が存在する「カタの世界」ができていくと示しています。

その事を「カタ・カム・ナ」と言います。

人が五感で感じ取れる現実世界を現象界といいます。

象(かたち)が現れている世界です。

それに対して、五感では感知できない象(かたち)が潜んでいる世界を潜象界といいます。

では、潜象界とは、現象界と反対側の世界になるのか、というと実はそうではないのです。

潜象界は現象界とまったく同時に同じ空間に存在しながらも、五感では感じ取ることのできないだけで、感覚的には現象界を包み込んでいるのが潜象界とも言えます。

潜象界はいわゆる「気の世界」であるとも言われています。

 

(割愛)

 

世界中の言語は歴史と共に分裂して発達し、変化していきましたが、日本の大和言葉ではカタカムナの時代から殆ど変化することなく、純粋に48音が現代に引き継がれてきたのです。


カタカムナの時代は「コトダマノサキアフクニ」と定義され、多くを語らなくても、以心伝心で想いが伝わる民の住むクニと言われていました。

その時代の人々の心は調和的であり、言葉は言霊であるということを熟知していたので、言挙げしない民、つまり議論しない民だったといいます。それは、言葉には人を殺す事が出来るほどの力があることを知っていたからなのです。

 

https://konohana-family.org/katakamuna/

 

↑こちらのサイトに詳しく記されていますので、ご興味のある方は、そちらをお読みください。

 

…ということで、私がかれこれ30年も前から受け取ってきた話や、みえている世界、また、2006年に記憶の大転換が起こり、人間としての記憶ではない魂の世界の記憶を取り戻してしまったことで思い出したことと、似たようなことが書かれています。

 

 

言葉を正しく扱うということの大切さを、

私は常に思います。

 

 

一つ一つの文字が、一つ一つの音が、

どのように響き、どのように伝わり、

どのように広がっていくものか…

 

調和から離れてしまった現代人だからこそ、

日本語を正しく扱えないことは、

自分自身の心を正しく扱えないことにも繋がっていくのだろうと思うことが多いからです。

 

 

伝える側の思いを、正しく受けとめる力も弱まっていますよね。

だからこそ、伝えた人の真意を理解する前に攻撃してしまう。

 

伝える側の伝え方、

受けとる側の受けとめ方、

どちらも、真心あってはじめて、

理解へと及ぶものでしょう。

 

感情のままに、発しない受けとめないこと…の、必要性を強く思います。

 

 

日本に残る神言『言霊』の息吹を、

善きものとして使いこなせるように、

ともに学び、育ち合える関係でありたいと、

願っています。

 

 

 

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