正思惟とは、正しい考え方(偏らない考え方)を持つことを意味します。
仏教の教えでは、自己中心的な考え方を捨て、
この世の真理に照らし合わせて、物事を正しく見つめ考えることの大切さを説いています。
自己中心的な考え方に偏らず、あまねく一切の衆生が救われる真理に沿い、幸福とは何かを考え、行動していくことこそ、真の己が願う充実した幸福へと誘われていくものだということです。
字面だけ読んでいくと、かなり難しいですね。。
仏教では、三毒と言われる言葉があり、その毒は、自らの考えを蝕むものとされており、それらを手放していくことが必要であると説いています。
【三毒】
① 貪欲(どんよく) : 自分が幸せになるための自己中心的な考えから生まれる欲望のこと。
② 瞋恚(しんに) : 憎しみ、怒りに任せた考え方のこと。
③ 愚癡(ぐち) : 物事の道理に無知であること
三毒は、仏教において「苦しみの原因」となる煩悩の中で、最も根源的なものを意味するものです。
煩悩の数は108あると言われますが、
特に重要視される三毒の意味です。
三毒とは、毒のように私たちの心を蝕み、清らかな心を失わせる原因となる三つの心の働き・煩悩を表します。
三毒によって毒された心では、私たちはこの世の苦しみにただただ苦しむだけの存在になってしまいます。
三毒は、私たちの様々な善いことをもたらす善根の真反対であり、三不善根とも言われます。
それでは、三毒という私たちを苦しめる原因となる、貪・瞋・痴について詳しく解説していきます。
三毒の貪|貪欲(どんよく)
三毒の貪は、貪欲の貪を意味します。貪り(むさぼり)とも言われます。
貪欲とは、現代でも使われる言葉ですが、
「欲しいものなどに対して、執着する心」を意味します。
私たちが人生を苦しいものだと感じるのは、
私たちがあらゆるモノに執着するという煩悩があるからです。
お釈迦様は、この世の真理を正しく見抜くことができるようになり、あらゆる物事に執着する心を捨てることができれば、苦しみから解放されると悟られました。
貪欲は煩悩の中でもあらゆる苦しみにつながる根源的なものと言えます。
高級な車がほしい、人が羨むような素敵な暮らしをしたい…
たとえその願望がささやかなもの事であったとしても、執着をするものがあるからこそ、それらが手に入れられない時に、また、それらを失った時に「苦しい」という感情が生まれるのです。
手にしたいけれど、手に入れることができない…
そうなると、人の心はどんどん醜い思考に蝕まれていきます。
初めのうちは、羨む気持ちだけであったものが、
次第に、恨めしく思う気持ちや憎しみまで、負の感情が募ってしまう。
あいつばかり許せない…
自分ばかりが辛い思いをしている…
俺は本当はもっとすごい人間だ!
あいつよりも俺の方が優れている…
あいつを貶めてやる…
…こんな話、ドラマや漫画、小説にもたくさん描かれていますが、現実にも、あちらこちらに散らばっている思いであり、出来事でもあります。
そんな思いに捉われていくと、当然なことながら、自らの奥に輝く光は潰えていくばかり。
ちっちゃな灯火が今まさに消えかかっているのです。
自分の思考が、感情にのまれてはいないか…
それを正しく見つめる俯瞰した視点が大切です。
そして、自分の思い(思惟)を、正しく導いていく努力をしていくこと…
自らの中にある毒を他者に向けて吐き出すのでなく、正しい神理の元に、自らの思いを曝け出すことが大切なのです。
本来の己が好きでいられる「私」になっていけるように学び続けていくことの大切さを知り、
自分の思考が作り出す苦難を手放しでいくことを、八正道では説いているのです。