しあわせこころのつくり方

心と魂の癒しのために

闇も光もありてあるもの

2024年立春を過ぎ、

今年の気運が本格的に流れ始めました。

今年の本流は『和合』

そして和解へとつながっていきます。

 

 

この世界は、陰と陽、光と闇、善と悪のように、二元的に分ける物事が多く存在します。

これらのように二元的な分け方をするのは、

私たち人間の思考によるものであって、

光と闇は一対のものです。

コインに裏と表があるように、

光と闇もそれと同じようなもので、

どちらか一方だけだとバランスを崩し、

調和がとれなくなってしまいます。


光ばかりだと、それがどれほど素晴らしく、

大切なものであるのかわからなくなってしまうからなのでしょうね。

 

 

この地球上は現し身の世界ですので、

現実の世界に生きているのに、

スピリチュアルに偏り過ぎてしまうと、

社会通念から離れ過ぎてしまい、

周囲とのコミュニケーションに問題が生まれてしまいます。

反対に、

目に見える世界のことしか信じられないと、

物質主義になりがちで、感謝や思いやりに欠けやすくなるもののように感じます。

ですので、目に見えることも目に見えないことも、両方あって、同じだけ大切にすることが、

ちょうどいい塩梅なのです。

 


この地上の生活は、苦しみや悲しみなどが多いため対立や分断も多く起こります。

けれど、愛と光に満ちた本来の自分に還ることによって、

人である私たちは「肉体を持った魂」として、

自分自身の人生をよりよくを生きることができるようになるのです。

 

 

では、愛と光に満ちた本来の自分って、

一体、どんな存在なのでしょう?

本来の自分=魂存在とするならば、

本来の自分は、善も悪を区別するべくもない

愛という『光』そのものです。

 

本来の自分=そのままの私 

ですが、人間であると、これがまた難しいもので、自我の自分で「そのままでいい」となると、

単なるワガママになってしまいます。

 

ちょっと横道に逸れますが…

自我の意味をちょっと調べてみると…

社会的存在を等して意識された自分自身。

(エゴ訳語として)他人と異なった独立した存在として、自分自身を認識すること。

(哲学)宇宙に存在する他のいっさいのものと区別し、対立する存在として認めた自分。

と記されています。

 

 

肉体を持って生きていると自我に囚われてしまうものとであることは、過去記事でも書いてきていますが、

自我が良いとか悪いというものではなく、

その判断をしているのも、自我であると捉えていただけるとわかりやすいかと思います。

起こってはいない未来のことを心配して不安になったり、過去のことを後悔したり、

また、怒りや不安の感情などに囚われるのも、

自我の働きによるものです。

 

自我という意識がないと、社会的なルールを作る必要性や、秩序を保つことも困難になってしまうので、自我はなくてはならないものです。

自我が強くなり過ぎる=エゴイストとなると、諸々、問題が起こってくるのです。

 

さて、そのようなエゴイズムな思考により生み出される問題を、どのように扱うとよいのでしょう。

そもそも、エゴイズムが生まれるのは、

人の心の行き過ぎた自我(エゴ)によります。

 

どんなに正義をかざしても、

それが、誰かの命や存在を侵すものであるならば、それは光ではありません。

他者を思う気持ちからだとしても、

その心は闇に傾いている状態の意識から発生しているものです。

 

人の心に潜む闇をどのように扱うとよいのか…

 

闇も自分の一部として包括し、

光という愛でその闇を照らすことです。

 

まだまだこの世界は矛盾に満ちているので、

簡単に問題は解決しないでしょう。

けれど、一人の意識が変わることで、

少なくとも、その人の周りの人たちの意識が、

少しずつ変化していくことを知っていてください。

自分にはそんなチカラはないと思わないでね。

諦めたらそこで終わり。

でも、信じて続けていく限り、

その思いを受け継ぐ人たちが、

この先にも生まれていくことに、

希望を託せると思います。

 

光と闇は一対です。

だから、自分の中にいたらない思いがあっても、それは必要なことと受けとめておいてください。

当然、自分だけでなく、他者に対しても、同じように、赦しの心で受けとめていきましょう。

 

 

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(追伸)

本当の問題は

故意の悪意

破壊

魔…という

光と闇とは

また別の次元の話なのです