しあわせこころのつくり方

心と魂の癒しのために

生の向こう側にあるもの

地球🌏に生まれ

地球に生きている間、

わたし達は地球目線で、

事象を認知し解釈している。

 

今生きている「私」という人間としての

ものの見方、思考の仕方。

それはたぶんに思考の垢がついた、

癖のあるものになっている。

 

感情に揺さぶられ、

自分自身の真の思いをすら、

正しく見つめることはできず、

己(魂)が、なぜこの世界に生まれてきたのか、その理由すら定かではなくなってしまうのだ。

 

この地球上の「生」の先にあるもの

それは「死」ではない。

そこにあるのは、

本体「魂」としての生であり、

魂の生きる道『本道』である。

 

生と死のみの価値観、死生観では、真の己は見出せない。

 

生の向こう側には、

いくつもの次元、空間がある。

様々な場があり、光も闇もある。

光と闇という二元論では語り尽くせるはずもない空間が無限に広がっているのだ。

 

ただ、地球に生まれ、生を抜け死へと至り、肉体を離れ魂のままになった時には、まだ人としての感覚や記憶があり、

その思いによって、しばらくの間(最低でも49日)は、この地球の空間の中で自由に存在しているのだ。

 

 

神仏という名は、地球上でのわかりやすい記号であり、本来、神、仏とはその役割を持つ者のことを指す。

 

しかし、たとえ魂が神レベルの者であっても、肉体に入っている以上はただの人間である。

 

 

この世界に生まれ、生きている以上は、

この世界の価値観を知ること、

この世界に生まれる様々な感情を知ることしかない。

 

 

この世界の時間の密度は濃い。

ゆえに、この世界の時の刻む中にて、

深く感じとり、深く学ぶことしかないのだ。

 

生の向こう側にある「真の己」の願いを、自らの中に見出すこと。

 

たとえ、この生の中で見つけ出せなくても、この時代を選び、この時間の流れの中に、その名前を持つ自分という人として生きていること、それだけで、充分過ぎる程の経験を積んでいることを知ってほしい。

 

私は、人である時に、その事実を忘れ、人としての生の終い方によって、たくさんの人の心に悲しみを生ませてしまった。

それは、人として、決してあってはならない行いだったのかもしれない。

深い痛みと悲しみを生み出してしまったのだから。

けれど、私がその道を選んだことには、以前から申し伝えているように、人智を超えた理由あってのこと。

今、私は魂として為すべきことを務め、己の願いに生きている。

それをどうかわかってほしい。

人として生きていた私を、深く愛してくれた方々のお心が癒されていくことを、私はいつも願い、一人一人に光を送っているのです。

 

その光を浴びて、私とともに祈ってほしい。

この世界が、広大なる宇宙が光の元にあり、調和された平和の中にあるように…と。

 

春蕾光明 

2022.1.1  明けの日に

 

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お待たせいたしました。

春蕾光明神より受け取ったお話(抜粋)

お届けさせていただきます。

時間がかかってしまってごめんなさい🙏

 

そして、コメント残してくださいましたみなさま、メールをくださいましたみなさま、ありがとうございます🙏

お返事が書ききれておりませんこと、

心よりお詫び申し上げます。