【 自分の目に見える世界を観るんでない
自分の目では見えない世界を観じるんじゃ
自分の世界を見続けるんは
もう終いじゃ
この世 あの世
さらにはその先にある
様々な世を含めて
魂の存在として
今 この身を借りて
この星に降り立ち
この星にて為すこと
学び習得することを
大事とすることぞ
魂を宿したるこの身を
使いこなすことじゃ 】
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9月26日、昨年来より一年以上に渡り手掛けてきた特別な御神託による御神事が結びの日を迎え、無事、事を遂げました。
この神事を終えた後に、
いただきました言の葉です。
詳しくはここには記せませんが、
これにより、とあるレイライン上の澱み詰まりが抜け、歪みが戻ったことにより、本来とは違う流れに乗ってしまったものが、正しき流れに戻ってくるとのこと。
それに伴い、思いもかけないような事が起こり、
戸惑うことや辛く感じることも起こるかもしれませんが、それはその時だけのもので、長く心煩わすことにならぬとのことです。
すでに、その流れの変化を感じ取った方も、
たくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
私自身も感じていますが、
私の周りの方々からも、そのようなお声が届いております。
この世界には、様々な流れがあります。
明るく照らす光の流れであっても、時として、
日陰に入れば、暗き闇に覆われたように見え、
不安に襲われる時もあるかもしれません。
また、光と信じて乗っている流れが、闇に繋がりし流れであることも起こります。
それでも、光の御魂を宿した自らが、
己の神の許しを乞うて、こちらに生まれ、
今、ここに存在していることに変わりはありません。
大切なことは、誰もが『光を宿している自分』であるということです。
何をするから特別なわけでもなく、
何ができるから素晴らしいということでもなく、
それぞれが、ここに生まれ、自らの意志で生きているということが、素晴らしいのです。
「生かされている」という絶対的な感謝を持つ人は、光の存在から、生きる力を後押しされます。
要らぬ力を抜き、神仏の導く流れに委ねつつ、
正しき思考で物事を考え、自分の意思で決定し、行動することができているならば、
問題は複雑にはなりません。
水の流れが上から下に落ちるよう、
川が流れていくように、
物事も流れていくものなのです。
すべての道理、自然の摂理は、そのようになっているのです。複雑に絡ませてしまうのは、人間の性なのでしょう
変に力が入ってしまう時は、
体も強張り、呼吸も浅くなっています。
そうなれば、身体中に巡らされている酸素も足りなくなって、体内は錆びついてきてしまいます。
ともに幸を願う心を持ち、心豊かに佳き日々を願うならば、まずは、身体から要らぬ力を抜き、
新しい酸素を巡らせてあげてください。
そうすることで、脳内もリフレッシュして、
働かなくなっている頭もスッキリしやすくなります。
具体的な手法から体と心をほぐし、
その先に、精神を整え、調和の道へと繋がりゆく魂の研鑚があるのです。
順序を間違えると、体も心も壊してしまいます。
自然の摂理の中に生きていることを忘れずに、
心と心が喜び合える繋がりを大切にしていきましょう。