しあわせこころのつくり方

心と魂の癒しのために

人生を変えた日

私の人生が大きく変わった日は、3回あって、

一度目は、1992年2月2日 自動書記が降りた日

二度目は、2006年2月2日   魂の記憶にシフトチェンジした日

 

そして三度目は、2011年3月11日

12年前のこの日です。

 

以前、ブログに書きましたが、

震災当日、東京と仙台へと帰れなくなってしまった帰宅困難者を受け入れ、

その後、1週間経たぬ頃、パートナーが被災地仙台に入り、現地の友人知人たちのために、様々な物資支援を始めました。

それから程なくして、彼は沿岸部へと支援活動を広げていきました。

 

震災以前より、児童養護施設に暮らす子どもたちの心のケアと、高齢化が進み手入れができなくなってしまっている私有地の山林を整える活動を、子どもたちと高齢者の交流を図りながら行うために、任意団体『緑水の森再生委員会』という団体を立ち上げていたので、その団体をそのまま利用して、『緑水の森被災地被災者支援活動』という任意団体を設立し、支援活動を展開していきました。

 

パートナーは、毎日のように、山形から石巻、東松島、南三陸、気仙沼など、宮城県の沿岸部を周り、ひと月後には、福島県へと入っていました。

 

この活動を支えてくださったのは、

パートナーの古くからの友人である織田哲郎さんでした。

地震のあった数日後、織田さんから、

「そっちは大丈夫か?」との電話があった時、

「こちらは大丈夫。僕たちはすでに支援活動を始めている。」と伝えたところ、

織田さんがご自身のTwitterで、古い友人が支援活動を始めたので、協力してほしい旨の投稿をしてくださったのです。

織田さんをはじめ、たくさんの方々から支援金が集まり、私たちの活動は本格的になっていきました。

 

物資支援、炊き出し、がれき撤去、傾聴活動、

マッサージ、アセスメント調査…

その時に必要と思われる支援を、ありとあらゆる形で展開してきました。

 

そのうち、残念なことに、ボランティア同士や、ボランティア団体同士での対立が起こり、私のパートナーは、関係調整の役割までも担うことになっていきました。

 

一方、私の元には、震災の当日から、不安や恐怖で眠れないというLINEや、お子さんが泣き叫んでいてどうしようもないというご相談メールが続々と入っておりました。その後も、口コミで広がっていき、私個人の相談件数のみでも、震災三年以内にのべ30.000件を超えました。

 

心のケア活動は、赤い羽根や日本財団の助成金をいただきながら、被災された方、避難された方、また支援者の方を対象に無料で行っておりました。

 

いつしか私たちは、災害に於ける心のケアの専門団体となっていき、今日に至っているのです。

 

ここ数年、音楽活動を通して、被災地被災者支援を行っているのは、流れの中で必要とされたからであり、そもそも、音楽(それも昭和歌謡)をやることになるとは思ってもみませんでした。

 

 

私は、心理カウンセラーでもありますが、スピリチュアルケアアドバイザーでもありましたので、自然の多い山形という地域で、関東で繋がっていたクライアントさんの心を癒し、本来の力を取り戻すためのセミナーハウス的なものを作る予定でいたのです。

【スポリチュアルケア・・・終末期がん患者に限らず、人生の様々な状況に於いて生きる意味を失い、自分に価値を見出せなくなってしまった人や、空虚感・孤独感・疎外等を感じている人のスピリチュアルペイン(自己の存在と意味の消滅から生じる苦痛)を和らげ、なくしていくケアをスピリチュアルケアという。スピリチュアルケアは、身体的ケア・精神的ケア・心理的ケアにまさっているともされ、人間の究極的なケアともされています。(Wikipedia参照)】

 

山形という土地を選んだのは、ご神託が降りたことに由縁がありますが、

そこで行う活動は、自然豊かで水が清らかな場で、香術やコーチング等のアイテムを用いて行う『心の回復プログラム』と『自身の魂の願いに触れ、本来の自分自身を取り戻すプログラム』を行うことでした。

 

3.11をきっかけに始めた活動は、山形に移住をした本来の意味をすべて手放すことに繋がり、当時、東京にて一緒に活動をしていた仲間たちは、離れていくことになりました。

 

地縁も知人もいない山形という土地で、それでも、たくさんの方に支えられて生きてこられたのは、まぎれもなく支援活動を続けてきたからで、

この支援活動を通じて、本当にたくさんの出逢いをいただきました。

 

 

今、現在の私が、あえて『心と魂の救済プロジェクト』なんて、おこがましくも大袈裟なネーミングまでつけたプログラムを展開しようと思っているのも、震災をきっかけに深い傷を受けていらした大勢の方々の出逢いと、その傷をも超えて、次代の人たちのために強く生きると決め、笑って生きていらっしゃる被災された方々との出逢いがあったからにほかなりません。

 

大勢の人の人生を変えた2011.3.11 は、

私の人生をも大きく変えた日となりました。

 

 

今、地球に生きている私たちは、人としてこの世界に立ち、関わる人とともに生き抜くことが大切です。

自分さえよければ・・・家族さえ幸せなら・・・

そのような小さな枠の中だけで物事を考えていては、結局、誰も幸せにはなれないのです。

自分さえも…です。

 

また、ご利益主義のスピリチュアルは、本来のスピリチュアリティとはかけ離れたものであって、この世界を光に導くことはできません。

 

この世界は、残念ながら、まだまだ大きな差別があり、分断や対立、争いがある世界です。

困窮している人の方が俄然多いのが実情です。

 

「地球に生まれたからこそ辛さを体験せざるを得ない。それを選んだんだから仕方がないよね」・・・という話ではありません。

 

辛さを抱えている人がいる。

困窮している人がいる。

困っている存在がある。

そのような人や存在たちを、どのように救い出すことができるのか、

それが、この世に生まれた魂が最も学びたいことであり、ミッションだと言っても過言ではないのです。

 

お互い様の精神を持っているのが魂世界です。

誰かが困った時は、必ず、誰かが助けてくれる。

自分が困った時には、必ず、誰かが手を差し伸べてくれるのです。

だからこそ、出来る時に、出来る人が、その手を差し伸べていくのです。

 

 

私は決して偉い人でも、立派な人でもありません。

だからこそ、この活動を立ち上げ、みんなで一緒に手を取り合って、

辛さの中にあってもなお、笑い合って、歌い合って、踊り合って、

生きていけたらいいと願ってやまないのです。

 

 

生きている人も、旅立ってしまった人も、

そこに痛みがあり、悲しみがあるのならば、

光を渡し続けていきたいと、心から思うのです。

 

 

一条の光を信じて…

 

 

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