東日本大震災の起こった年の冬のこと。
当時、石巻にて、在宅被災者宅を一軒一軒まわり、アセスメント調査を行っていた活動がありました。
被災者は、みんな避難所に行くのが当たり前、 家があるのだから被災者ではないと思われ、
行政等からの支援がまったくありませんでした。
けれど、家は津波に遭っているので、
人が住める環境ではないのです。
人それぞれに事情があり、誰もかれもが避難所に入れるわけではありません。
仕方なく、ボロボロの家に身を寄せるしかなかった方が、それはそれは大勢いらしたのです。
そんな状況下、ローラー作戦を展開し、一世帯一世帯を訪ね歩いて、アセスメント調査を実施するのは大変な作業です。
人海戦術が必要とのことで、山形からも、アセスメント調査に参加するため、ボランティアバスを4回出し、1回につき30名程度の方が参加してくれました。
被災された方の悲惨な体験をお聴きすることで、心を病んでしまうボランティアが続出していたため、バスの中で心のケアの講義をしながら現地に向かいます。
現地では、二人一組で活動をするのですが、
その道のプロということで、私は一人で訪問活動をしました。
2回目の活動の時に出逢ったおばあちゃんのことを少し書かせてください。
おばあちゃんには、お孫さんがお一人いて、
一緒に暮らしているとのことでした。
ご主人であるおじいちゃんは入院中で、
あまり長くないみたいとのことでした。
「じいちゃんは病院に居たから助かったんだけんどね。私はその日、じいちゃんの見舞いに行く日で病院にいたの。んだから、助かったの。
んだけどね、息子も嫁も、娘たち家族もね、みんなみ〜んな持ってかれちゃったねぇ。妹たちもみんないなくなったんだ。残ったのは、年寄りの二人と孫一人でね。なんで年寄りが先にいかんねくて、若い人たちがいっちまったのかって思うと、申し訳なくてね。ずっとさ、思ってたの。
でも、この子育てなきゃなんねぇし、
じいちゃんを見送るまではと思ってね。
泣きたかったんだけど、次の時代に生きる人たちが元気に育っていく方が大事だもんな。」
そう言い終えると、突然泣き始めました。
「おつかれさま…本当におつかれさまです…」と伝えながら、おばあちゃんの背中をしばらく撫でていたら、おばあちゃんは泣き止んで、私の手を握り締めて「ありがとうありがとう」と、何度も頭を下げました。
ようやく泣けた…と。
あんたが私の話を、真剣に聴いてくれたから、
話をしたいって思えたんだねぇ…と仰ってくださいました。
そして、「私はお孫ちゃんがお嫁にいくまで、
年老いたおっかさんをやろうと思うよ。
もう一度、お母さんできるなんてねぇ、ありがたいことだよねぇ。」と、仰ったのです。
決して嘘も迷いもない、一点の曇りもない瞳で、私の目をじっと見つめて…。
その後の満面の笑みは、まるで天女のように美しく慈愛に満ちていました。
本当にとってもとっても美しかったのです。
その笑顔は、今も忘れることはありません。
『人は大切な誰かのために強くなることができる』ことを強く感じた瞬間でした。
このような素敵な出逢いは、
この日だけではありません。
人には、この世の中で咲かせたい花がある。
それは、大切な人の笑顔の花🌸なのではないかしら…そんなことを思いました。
3.11から10年経ったある日、
そのお孫さんから連絡がありました。
私、そのお孫さんには会ったことはありません。
でも、携帯に電話がかかってきたのです。
「ひと月前、祖母が亡くなりました。祖母が亡くなる3ヶ月前に、私は祖母の願い通り、お嫁さんになることができました。祖母は貴女が家に来て話を聴いてくれたことが、本当に嬉しかったみたいで、その時の話をよく話してくれました。ありがとうございました。」
そのお孫さんから、なんと今日、再び電話がかかってきました。
「お久しぶりです。私、お母さんになりました」と。
なんて嬉しい報告でしょう❣️
私は、まだ一度もお会いしたことのないお孫さんと、新しく誕生された女の子と、優しい旦那さまの三人にお会いしにいくことになりました。
御縁
この素晴らしい繋がりは
きっとこれだけでは終わらない
…はず