しあわせこころのつくり方

心と魂の癒しのために

Imessage 自分の言葉(思い)を伝えるだけ…

人を叩くことなんて

誰でも簡単にできてしまう

 

自分のことだけ考えていれば

自分の思いだけに浸っていれば

それはそれは

容易にできてしまうもの

 

 

自分が作り出す世界の中に

浸っているのは

幸せな時間かな?

 

もちろん楽しい想像の中にいるならば

それはそれで楽しいかもしれない

子ども達はそうやって想像の世界で

遊んでいるものね✨

 

 

でも誰かを貶めるような物語の中にいるのは楽しいかな?

しあわせ〜って笑っていられるかな?

 

自分の意見とは違う意見に

反対すること 反論すること

それがいけないわけではないけど

意見が違うからって

相手を叩く必要なんてないはず

 

わざわざ相手の意見に反論しなくても

自分の意見は伝えられる

 

 

誰だって叩かれるのはイヤだし

反論されるのも嬉しいとは思えない

 

生まれも育ちも違うなら

価値観が違うのは当たり前だもの

それぞれの意見を聞き合って

そういう意見もあるんだね…って

知るだけでいいんじゃないかな

 

自分と意見が違っても

それはそれ

「私はこう思ってるよ」と

自分の意見を伝えるだけでいい

 

そうやってお互いを認め合い

尊び合えたなら

傷つく人は

ぐんと減るのではないだろうか

 

 

自分も人間

相手も人間

 

性格は違えども

痛みを感じる心は

誰だって持っているものだよ

 

自分がやられたら嫌なことはやらない

 

そんなこと

幼稚園の頃から教わってきたよね

 

もう一度

思い出して

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

先日アップしたkinky bootsの記事を読んでくださった方からメールをいただき、その方へ返信を書いている時に、

一瞬、春蕾光明神が春馬くんとしていらしてくださって、こう仰ったのです。

 

「優くんは優くんらしく
優くんのローラを演じてほしい
目一杯楽しんで❣️」と

 

その日の深夜、改めて、春蕾光明神が、

御神託を届けにいらしてくださいました。

その時に、ついで…みたいな感じで、

この世界に残っている思念と魂の話をされていかれました。(同じような内容の記事を以前に書いていますが、具体的なお話をしてくださいました。これについては、次の記事に書く予定ですので今日は横に置いておきますね。)

 

その話をされた時、自分の遺した思いを拾い集め、それぞれの人生に活かして生きてくれている友人たちの存在に感謝している…と仰っていたのです。

 

城田優さんが、キンキーブーツのローラにチャレンジされることについて、何かバッシングのようなことが起きているのでしょうか?私は、そのあたりのことは知らないのですが…

 

この状況下でローラに挑むことが、どれほどに重責を抱えることになるのか、ご本人が一番理解されていらっしゃると思うのです。

それでも、この役を演じたいと手を挙げた城田優さんに、私は心からの拍手を送りたいと思います。

 

 

春馬くんの愛したkinky bootsを、

未来へと紡いでくださる選択をしてくださったことに感謝しつつ、

春馬くんの思いとともに、応援したいと思っています。

 

 

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