昔は、悪いことをすると
「お天道が見ているよ」と
諫めてくれるお年寄りがいてくれましたね。
『お天道さまに顔向けできないことはしない』
お天道さま=お日さま(太陽)ですがら
このお天道さまという字並びをみれば、
お日さまは、天の道 天に繋がる道 神仏の道の象徴そのものだったのでしょう。
美しい朝陽や夕陽を目にすると、
思わず手を合わせてしまう方は、
今でも多いように思いますが、
今時は、そんな精神を持ち合わせている人は少なくなっているのかもしれません。
人々の交流は、インターネットというバーチャルな世界が主流になり、お天道さまを感じることは、さらに少なくなってしまったようにさえ感じることがあります。
お天道さまが見ていることを忘れているからなのでしょうね…
私という存在が誰なのかバレることはないからと、相手をとことんまで貶めるようなコメントを浴びせることができてしまう。
自分がされたらイヤなことさえ気付くことができずに、ひたすら攻撃してしまう。
自分の意見と違う人を排除しないといられないのは、実は、恐怖や不安に苛まれているからなのかもしれません。
でも、恐怖は恐怖をしか呼ばないですし、
不安はさらなる不安をしか呼び寄せません。
この世界には、いくつもの波(波動)があり、
きらきら光る美しい波動もあれば、
不規則で暗い波もあります。
恐怖や不安が作り出す波は、
不安定で不規則で、
暗闇に映る波のように黒いもの。
きらきら光る美しい波に乗りたければ、
自らも美しいきらきらな心でいることが必要なのです。
今年は、新型コロナの流行によって、
人の心は相当波立っています。
美しい波…?
いえ、どう考えても不安と不信と恐怖の
暗い波の方が多いですよね。
確かに、
未知の病は恐ろしいものかもしれませんが、
だからといって、罹患した人やその家族をまるで犯罪者のように扱う必要がどこにあるのでしょう?
もし、逆の立場に立ったなら、それは受けとめられる行為なのでしょうか?
病は誰にでも訪れます。
そして、死は誰の上にも等しく訪れるのです。
私は、講演会や講座やワークショップ等で、
参加者のみなさんに、何歳まで生きたいかを聞くことがあります。
「300歳まで生きたい人~⁉️」と尋ねると、
誰一人として手を挙げる人はいないのです。
そうなのです。
みなさん、いずれは自分も死ぬということはわかってるんです。
でも、それがどういうことか正しく認識できていないのです。
私は、亡くなった方がこの世を去った後に、どのような思いでいらっしゃるかを伺うことがあります。
美しいきらきらな心で生きた方は、もう本当に何も思い残すことなく、美しいきらきらな
笑顔で、あちらの世界へと還る準備をなさっています。
けれど、後ろめたい心がある人は、その時点でも、暗い不規則な波に漂っているかのように不安定で、自分を、場合によっては他者をも許せずにいるのです。
そうなると、もちろん光の世界へと還るまでには、相当な年月がかかってしまいます。
死んだ後にまで、そんな暗い状況に陥って、なかなか明るい波間に浮かぶことが難しくあるなら、生きてるうちに、明るい世界へ扉を開いてしまう方が、よっぽど楽だと思いませんか?
なぜなら、生きてるうちなら、話を聞いてくれる人は数知れずいるのです。
自分が声を発すれば、思いを伝えれば、耳を貸してくれる人はいます。
たとえ、今は暗闇の中に漂っていたとしても、心をオープンにしさえすれば、
お天道さまの下を歩けるように引っ張っていってくれる存在は必ずいます。
でもね、亡くなった後は、霊としてこの世界に残っていると、話を聞いてくれる人はそうそういませんよ。
たとえ、つまずいても、間違えてもいいんです。私の人生だって失敗だらけです。
なんせ、私は❌2の女 (でも、離婚したことが❌だなんて思ってないですけどね)
そんな私ですが、
お天道さまに恥ずかしくない自分でいられるように、心だけは明るい方に向いて、オープンであることを実践しています。
たとえ、ネットの世界に生きていたとしても、この肉体と心と魂は、現実生活のもの。
お天道さまの下に生きている存在であることを忘れずに生きていきましょ~☀️