しあわせこころのつくり方

心と魂の癒しのために

その先に ~いじめる子も いじめられる子も~

息子が小学生の頃のこと

彼は毎日のように

誰かにいじめられていました

 

色白で目がぱっちりとした

女の子のような容姿

細くてか弱そうな体つき

 

八つ当たりするには

格好な存在だったでしょう

 

 

いじめの発端は

基本的に八つ当たり

自分自身に辛いこと

苦しいことがあるから

 

 

どこかに吐き出さないといられなくて

トゲトゲを撒いてしまう

 

八つ当たりの相手は

自分にとって

気にいらないヤツだったり

自分よりも弱そうなヤツ

 

私は そう感じています


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息子は、一年生の頃から、

クラスの一部の男の子に、

足を引っかけられたり、

背中から押されたり、

階段から落とされたりしていました。

 

息子は、家に帰ってきても、

そのような話はしませんでしたが、

同じクラスに従兄弟がいたので、

その子から話を聞いて知りました。

 

息子と遊びながら、話を聞いてみても、

本人はいじめられている意識はないようで、

少し様子をみていました。

 

二年生になってすぐの個人面談で、

担任の先生から「息子さんは本当に優しくて、とてもいい子なんです。一年生の頃からずっと心配してました。いじめてる子から私が全力で守りますから!」と言われたのです。

この時は、「え?そんなに深刻?」というのが、私の感想でした。

 

そのうち、他のママたちから、

「Sくん大丈夫?かなりちょっかい出されてない?」

「Sくんをいじめている子、問題ある子みたいんだけど、うちの子がその子に憧れて困ってる」などの話を聞くようになりました。

 

私は、息子が一年生の頃から、読み聞かせのグループに参加していたので、月に何度か学校へいくことがあり、二年生の時には、学級代表委員になったので、学校と関わる機会は多い方でした。

担任が熱血先生だったこともあり、保護者を巻き込んでのイベントも数多く、学級代表委員は、その都度、お声が掛かるため、週の半分以上、学校に通っているような月もありました。

そこまで、学校に関わってみると、今までは気付かないことがみえてくるもので、

どうやら息子のクラスは、職員室内でも、かなり問題ある学級と言われていたのです。

 

いじめっ子である男の子と、問題児といわれる男の子、その子たちに憧れる男の子数人が、あちらこちらでトラブルを起こしていることを耳にしたり、そのことで、他のママさんや担任の先生からも相談を受けるようにもなりました。

 

学校では、息子が、ちょっかいを出されている現場も目にしました。

 

本人達にはいじめてるつもりはなく、ただ、からかって楽しんでいるようでもありましたが、「やめて!」と言ってもやめてくれないこともあり、これは、本気を出さないといけないな…と思うに至りました。

 

ある日、息子に、ちょっかいを出してくる子のことを、どう思っているのか聞いてみると、

息子は意外にも、「嫌いじゃないよ。優しいところもあるんだよ。でも、蹴っ飛ばしたり、足を引っかけたりするのは嫌だと思う。」と言うのです。(これには、私も驚きました。私なら、相手を嫌いになると思うので…)

 

「でも、なんで、僕ばっかりにやるのかな?僕が弱いから?」と息子が私に尋ねるので、

「あのね、いじめる子の方が弱いんだよ。相手が嫌がることを考えず、自分の気持ちのままに行動してしまう方が弱いの。それはね、心が弱いってことなんだ。

いじめてる子は、今は気付いていないかもしれないけれど、実は、心に傷をつけているんだよ。今は気付かなくても、あとで、あんなことしなきゃ良かったって思うようになるの。」

 

息子から、「そう思わなかったら?」と聞かれたので、私ははっきりと、

「そう思わなくても、魂は知ってるよ。だから、魂は傷ついてしまうんだよ。君は決して弱くないよ。いじめてる子のことを嫌いと思わずに、その子の意地悪な行動はイヤと思える君は、心の強い子なんだ。他人を許せる心は、神さまの心だよ。」と語って聞かせました。

 

息子は、その時から少しずつ、自分に自信を持つようになった気がします。

 

 

 

私は、読み聞かせや、役員の用事で学校に行くたびに、クラスを覗き、いじめっ子達にも、他の子達と同じように声を掛け、ハイタッチ(`・ω・)人(・ω・´)していました。

子ども達にとって、ノリのいいお母さんであることは、とても重要なことだったのです。

ノリが悪いと仲間に入れてもらえないし、

仲間と認めてくれないと信頼関係が結べないので、問題をほぐすためのアプローチが難しくなってしまうからです。

子ども達は、私がクラスに行くたびに近寄って来てくれるようになりました。それは、純粋に嬉しい喜びでした。

 

一クラスしかないということは、六年間、共に成長しあう子ども達と保護者です。

子ども達だけをどうにかしようとしても、問題は解決しないので、同じような意識のあるママさん達との交流を深め、すべての子ども達を見守り育てていくように、意識の共有を広めていきました。

 

息子をいじめている子のママさんを含め、数人でランチをしながら、それぞれが抱えている問題を語り合い、どうすると良い方向に向かっていけるのか語り合ったことも、何度もありました。

 

その時に知ったことは、いじめっ子の中心人物のお母さんは、実はその子の本当のお母さんではなく、その子のお母さんは、お父さんと離婚して、実家のある県に帰り、息子さんと暮らしていたものの、心と体のバランスを崩し、亡くなってしまったのだそうです。

お父さんが再婚を決め、新しい家庭築くタイミングだったため、新しい家庭に息子さんを迎え入れ、三人で暮らしていたところ、新しい命を授かり……そんな中での暮らしに、彼は自分の居場所がなくなる不安を抱えていたのでしょう。

いじめている彼にも、抱えきれない深い悲しみや傷があったということなのです。

 

 

ある時、いじめっ子のKくんが、うちに遊びに来ました。彼は私に向かって、息子のことを「あいつ弱いよね!」と、威張ったように言いにきたのです。

 

私は「うん。Sは、小さい時から体が弱いからね。パパと別れてから、さらに体か弱くなっちゃったんだ。でも、心は強いんだよ。だからそれでいいの。」と言うと、

彼は、「Sって、パパがいないの?心が強いって、そんなにすごいことなの?」と聞いてきました。

「そうだよ!心が強いのが一番カッコいいんだよ。あの子は弱いけど優しいでしょ?だから、それでいいの。喧嘩するヤツは心が弱いから喧嘩するんだよ。……K君は?強い?」と聞くと、

「俺は…強いよ!」と言って、真剣な顔で、私を見つめました。

 

何か、彼なりに、私の語った言葉を受けとったように感じました。

 

たった二年生の子どもです。どこまで言葉の意味を受け取れたかはわかりません。

けれど、真剣に語って聞かせた言葉は、

深く響いたものだったように感じられたのです。

 

 

それ以降、彼が息子にちょっかいを出すことはなくなっていきました。

 

 

高学年になっても、息子は、他の子にちょっかいを出されることがあったのですが、

その時、息子を庇ってくれたのは、なんと、低学年の頃、息子をいじめていたK君だったのです。

 

Kくんは、ちょっかいを出している子に、

「お前、人の嫌がることをやるヤツは、弱虫なんだよ」と、ちょっと凄みを効かせて言ってるのを、私も一度見たことがあります。

 

 

彼の中に、どんな気付きがあり、どんな日常の変化があったのか…その詳細は、私にはわかりません。けれど、彼は、自分自身の優しさと本物の強さを取り戻していったのだと思います。

 


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一方、いじめられっ子だった息子は、

しなやかな心の強さを武器に、

コミュニケーション力豊かで、俯瞰力の優れたなかなかに素敵な青年に成長しました。

 

もし、息子が、いじめられていたことを恥ずかしく思い、自己肯定感を養うことができずにいたら、今のような青年にはなれなかったと思います。

 

心に深い傷を受けた人が、そのトラウマのせいで、誰かを傷つけてしまう。

そんな悲しい連鎖が起きてしまう世の中です。

虐待をしてしまう親は、子どもの頃に虐待を受けていたという人がほとんどです。

 

悲しみを連鎖させないためにできることがあるとするならば、傷を受けたとしても、その傷にとらわれず、自身の持つ魅力にフォーカスして、自身をより素敵な人間に育てていくしかありません。

 

ダメな部分、足りない部分をずっと見つめてしまうから、自己否定が生まれ、生きることが苦しくなるのです。

 

ダメな部分や足りない部分は、誰にでもあるもの。

完璧な人間なんて一人だっていないのです。

 

 

たとえ、いじめられていたとしても、いじめていたとしても、自分の中には、光輝く自分=本質の自分(魂)が存在していることを、思い出して、この世界を楽しみながら堪能してもらいたいと、心から願っています。