お神社などで行う御神事と、
私のような者が行う神事は、
意味合いが違います。
お神社で行う御神事は、
神様を讃え、神様にお喜びいただき、
神様に感謝をお伝えし、
時には、神様から恩恵をいただくために、
行うことがほとんどでしょう。
私のような一介の民間人が、
御神託を受け取り行う神事は、
問題が起こっている場の浄化であったり、
大地を鎮めるためのものであったり、
何か問題があることに対して、
神様(高次の存在)と、
その場(土地)のエネルギーと、
人間の三者によって、
その問題を解消、解決するためのもの。
なぜ人間がその場に参加しなければならないか…というと、
人間がこの地球の自然を壊す側の存在になってしまっているからです。
ちょっと考えてみましょう。
私たち人間は、地球からの恩恵を受けなければ生きていけません。
けれど、地球は人間がいなくても生き続けることができるのです。
当たり前のことですが、そんなことすら考えずに生きている人がほとんどだと思います。
地球という星は、
マグマの『火』と海の『水』により
作り上げられている『かみ』の星です。
この星そのものが『神』の質を持つ存在で、
神の星ゆえに、様々な『神々』が降り立つことができるのです。
そのような『神の星〜地球』に、
私たち人間は、新参者として誕生した存在なのですが、そんな新参者が、地球の資源を勝手に使いまくり、環境を壊しまくっています。
「地球の環境を考えて生きています…」という人であっても、人間として生きている以上、無関係とは言いきれないでしょう。
人間よりも先にこの地球に降り立った存在たちは、人間のことをどのように見ているでしょう?
私は、人間は決して、地球の王者ではないと思っています。
霊長類と言われますが、それは人間が作った造語でしかありませんよね。
人間はすべて人間を中心に物事を考えて、長い長い年月を暮らしてきてしまいました。
地球は、人間のものではありません。
この星に生きるあまねく生命、そして先に降り立った神々、すべての場なのです。
動物たちが何を語っているのか、人間はわかりません。けれど、動物の方は、案外、人間の言葉をわかっています。
神様方の言葉も聞く事ができないのが人間です。
けれど、神々は人間の思いや言葉をわかっていらっしゃる。
私たち人間は、そんな程度なんです。
けれど、人間には、思考する脳があり、知恵もあります。
それを使いこなす手や足があり、意識すること、行動することもできます。
【地球の環境問題を自分事(ひとごと)として考え行動すること】
今、それがとても大切なことになっています。
それと同じく、
地球に棲まう神様の場を壊し、神様の気枯れを起こさせていることに対して、行動すること…
それが『神事』です。
特別な人間が行うことが神事ではありません。
神事は誰しもが行えること…と常々、私が伝えているのは、そのような理由です。
誰もが気付き、祈りとして意志を伝えることができるものだからです。
人間が起こしてしまった問題を、
人間である私たちが自分の思いと行動で少しでも解消したい…
ただそれだけの気持ちさえあれば、
神事を行う資格があるのです。
逆に、自分しかできないとか、
自分ならできるとか、
自分を特別視してしまうような人は、
神事を行うことはできません。
なぜなら、そこに神が降りてこないからです。
神々は、美しい心を持つ存在がお好きなのです。
謙虚と感謝の心を持つ美しい心の人の元にしか
降りてはいらっしゃいません。
ですからね、神様が降りてくるという人であっても、そんな自分のことを勘違いして『特別』だなんて思っていたら、あっという間に、神様でなく、低次元の存在に取って代わられ、低次元の霊などに操られて生きていくことになってしまうのですよ。
常に、自分を見つめてください。
特別な存在など、この世界にはいないのです。
誰もが等しく尊い光の珠を持つ存在です。
誰もが地球に生まれることを願い、
地球にて経験したいことがあり、
生まれてきた存在だからこそ、
この地球への感謝を忘れず、
そして、この地球に先に棲まう存在への敬意を忘れずに生きていくことが、大切なのです。
〜まとめ〜
特別な人が特別なことをするのが神事ではありません。
この地球に対しての感謝の思い…謝罪の思い…
そのような思いを持って、こんな自分であっても、この地球、この地球に棲まう神々、あまねく生命に対して、祈る……それが神事(かみごと)です。
一介の民間人は神職ではありませんから、
祈ることだけをしているのでは意味がありません。
人として、行動をしていくことが伴っていなければ、意味がないものと、私は思っています。