それぞれの人に
魂の願いがあり
約束があります。
それぞれの人生の中で
知りたいこと
学びたいことを
積み重ねていくのです。
「私が若い頃は戦争があったから、学校にも行けなくて、私は学がないのです」と仰るご高齢の方にお会いすることがあるのですが、
その方の人生に学びがなかったわけでは決してありません。
むしろ、その人生には深い学びがあり、
さらには、次世代の私たちが学ぶべきことがたくさんあります。
学校で学ぶことが学びなのではなく、
様々な経験通して気付きを得、自身の精神を豊かに育み、自他を分かたず、感謝とともに生きること…
それこそが学びを積むことなのだと、
私は常々思っております。
人間なので、感情に振り回されてしまうことは誰にでも起こりますが、
その感情を自らコントロールし、
たとえ、感情的になってしまっても、
その中に居続けることなく、
本来の私に戻ることができればよいのです。
人は、自分の心が生み出す負の感情の中に居続けること=『感情の二日酔いを継続させてしまうこと』によって、可哀想な私という主人公を生み出し、自己憐憫の物語を作り出してしまいます。
この感情の二日酔いにはまってしまうと、
幸せな道からどんどん離れていってしまうのです。
「魂の願い」と聞くと
それはそれは素晴らしい使命やお役目みたいに思われがちですが、
空からやってくる怪獣と闘うウルトラ警備隊や、地球防衛軍のような特殊な任務に就いているわけではない私たちですので、そんなにすごいことを捻り出そうとしなくていいのです。
「魂の願い」は、大概の場合、
自分自身がとてもやわらかな心になっている時の感覚に宿っています。
魂の願いを自らに取り戻すということは、
自分自身を調えるということと同義だと、
私ら香術道を通して感じています。
自らを調えながら、日々の暮らしを丁寧に感謝して生きる。
その中に、魂の願いという光が宿っていることを感じとるができたら、
どんな自分として存在してきたとしても、
そこに大きな意味があり、学びがあり、
光があることを信じられるようになると思います。
自分自身の中に宿る美しい光を信じて、
誰の中にも輝く光があることを信じて、
互いを尊重し、大切に扱うことを忘れずに✨
ただし、理不尽に扱われている場合は、
相手を尊重するよりも、自身を護ることを一番に考えて行動なさってくださいね。