お釈迦様は、それまでインドで行われていた苦行を否定し,苦行主義にも快楽主義にも寄らない「中道」に生きることを教えとされました。
その具体的内容として説かれたのが、
この八正道と言われるものです。
【ハ正道】
1.正見 (正しいものの見方)
2.正思惟 (正しい思考)
3.正語 (いつわりのない言葉)
4.正業 (正しい行為)
5.正命 (正しい職業)
6.正精進 (正しい努力)
7.正念 (正しい集中力)
8.正定 (正しい精神統一)
1.正見とは「正しいものの見方」で、
物事や出来事を見るという意味です。
正しいものの見方は、偏りないものの見方とも言えます。
自分の持っている固定概念を交えることなく、物事をありのままに見ることを意味します。
物事をありのまま見るというのは、
とても難しいですね。
憎しみの感情や怒りの感情、また、愛情を持っていると、物事をありのままに見ることが難しくなり、それが苦しみを生む原因となってしまうからです。
昨今は、「正しい」を良しとしない風潮があるだけに、誤解を生みやすいですが、そもそも、その「正しい」「間違い」と、二元論的に二つに分けて、物事を見たり、語ったりすることは、中道から外れていることになります。
時間のある時に、今後、八正道について、一つ一つ、書いていきたいと思っております。
未熟ながら、「正見」を私の言葉でお伝えするならば…
正しい物の見方とは、そこに思いやりの目を持って、見つめることができるかどうか…ではないかと思うのです。
たとえば、相手の語る言葉を、慈しみを持って受けとめてみることです。
これは私の経験ですが、以前、パートナーと会話をしていると、突然、彼が怒り出してしまうことがあり、私はなぜこの会話でこんなに感情的になるのか理由がわからずに、すごく怖いと感じていたことがありました。
何がきっかけだかわからないけれど、
誤解が生まれたのだな…と思ったので、自分の話を説明すると、弁解するな!と、さらにキレるという悪循環が生まれました。
ある時、私のパートナーと私では、どうやら言葉(単語そのもの)の意味の受けとめ方が違うことに気付いたのです。
なるほどそういうことか…と思い、
伝え方を変えて話すようにしたものの、
当然、100%うまくいくわけではないので、また、逆鱗に触れてしまうことが起こります。
本気で別れたいと思うに至る程、彼の態度と言動は痛いものでしたので、
根本から改善しないと、何をやっても焼石に水になってしまうと思い、
落ち着いている時に、丁寧な話し合いを、何度も持ちました。
一番大切なこと…
お互いに、相手の言葉を愛を持って受けとめよう…と提案したのです。
そもそも、根底に信頼があるならば、
相手の言葉を悪い意味で受けとめることはしないはずです。
もし、理解できなかったり、言葉に棘を感じたならば、「今の言葉は痛いと感じたんだけど…どういう意味で話したの?」と、普通の口調で話してみてください…とお願いしました。
感情的になるから、語気が強くなり、
その強さが相手を萎縮させ、余計な緊張感を生んで、事を良くない方向へ運んでしまうのです。
そうなると、当然、その後の関係性を修復するのに時間がかかりますね。
それが何年も積み重なってしまったら、そこに居るだけで、息が詰まってしまうでしょう。
だからこそ、会話のすべて、関係性のすべてを、慈しみを基に作り上げていこうとする姿勢が大切になるのです。
おかげさまで、わが家ので中で大きな喧嘩はなくなりました。
時々、ん?と思うようなことはあるでしょうけれど、喧嘩をせずに切り抜けています。
人の語る言葉を、人の行いを、
愛と慈しみを持って眺めた時、
自分自身の中に生まれる思いは、
少なくとも、煩悩の炎に焼きつくされるような痛みからは離れていると思います。
相手を変えることはできないからこそ、
自分自身の受けとめ方を変えていく。
優しさで受けとめたなら、相手の心に生まれた棘も少しずつ溶けてなくなってゆくように感じるのです。
【追記】
この世界は、煩悩に翻弄される苦界と定義されているからこそのハ正道ですが、
ハ正道とは、涅槃に達するための八つの正しい実践行のことで,原始仏教以来説かれる仏教の代表的な修行方法を意味します。
(涅槃…煩悩の火が消え、人間が持つ本能から解放され、心の安らぎを得た状態のこと。仏教が理想とする「悟り」の境地)