しあわせこころのつくり方

心と魂の癒しのために

事実は小説より奇なり…と

あぁ、もう無理だな。

はっきりとそう思ったのが、

死を選択した日の二日前の夜だったと思う。

 

 

僕にとって、芝居をすることは、

自分を生きることだった。

芝居から離れて生きたいというよりは、芸能界という世界から離れて生きたいと強く願っていた時期があった。

普通の暮らしを営みたいと。

普通の暮らしというものが、一体どういうものなのか、本音を言えば、わからなかったけれど、普通に、誰の目にも触れずに生きたいと思っていた。

 

 

けれど、僕のそれまでの人生に普通の暮らしというものはなく、僕は異端児なのだと、喉の奥から何か得体の知れない苦いものが込み上がってきたような気がした。

 

 

芝居をしている時、その時はその役柄の人物になりきれる。

僕は僕ではなく生きていられる。

 

 

その年は、僕の生きる道を奪われた年だった。

公演を行った舞台は決して失敗だったわけではない。

けれど、公演を行ったそのこと自体を責められた。

何が本物か、何が真実かを突きつけられる年だった。

 

 

僕の心の隙間には、常に厭世感が漂っていた。その厭世観を拭うように、僕は敢えて自分からこの世の善を探していた。

人の中に潜む魔に引き込まれてしまわぬように、人の中にある善を見つめるようにしていた。

そうじゃないと、この世界に生きることの意味がわからなくなってしまう。

人を嫌いになれば、人を演じることはできなくなる。

 

軽い鬱状態は、もうずっと前から続いていたし、それが自分だと割り切っていた。

それでも、僕の中にある誠を貫いていればよいと思っていたし、自分の役割で、人の心を癒せれば、それでよし思っていた。

 

僕の中にある複雑怪奇な心情を、誰が理解できただろう。

僕を殺せるのは、僕自身の意志だけだ。

 

 

自死を選ぶ人には、大きく二つの類があると伝えたと思う。

どちらにしろ、この世が苦しくて命を手放すのは同じだろうが、哲学的な意味合いを持って死を選ぶ者とそうでない者には、明らかな差があるのだ。

 

それはまさしく、死後、亡くなった人の状態に表れている。

それは、自死を選んだ者たちが居座る暗闇の部屋に入った時、はっきりと感じとることができた。

 

哲学者たちは、暗闇の中、まっすぐ前を向いて何かを見つみていた。

決して、悶絶する苦しみの中にいるわけでなく、暗闇の中で真理を見出そうとしていたのだ。

まさに、自ら命を絶つことを選んだ意志ある崇高な魂だった。

 

そうでない者たちの部屋には、なかなか辿り着けなかったが、幽宮の神の力を借りて、いくつかの次元を繋ぎ合わせて、

暗闇の部屋に繋がる通路を開いていく。

一連の作業を終えた後、いくつかの試みを経て、僕は、何人かの霊体と話をもった。

彼らは、ひたすらに自分が選んでしまった死を後悔し、涙にくれていた。

深い後悔の念の中にあって、父や母、恋人や友人達を恋い慕い、届かない思いに余計に悲しみを深めていた。

 

同じ自死を選んでも、こうも違うものか、そう思った。

 

なんであれ、どちらの魂も成仏することが必要だ。

この暗闇の部屋から出て、本来戻るべき場所に帰ることだ。

 

やるべきことはみえている。

僕一人でどうにもならないこともわかっている。

助け手が必要だ。

 

助け手はこの世界にいる。

同じ神の源より生まれ出しひと。

人としての命を手放した後に、

まるで僕と同じ意志を持ち、同じ心を持つ人に出逢うことになるとは思わなかった。

引き寄せられるように出会った。

生きている内に出会えたなら、別の道もあったかもしれない。

そうも思うが、過ぎ去った過去のことを思い返しても仕方がない。

僕の思いをそのままに受けとめ、

そのままに言葉にしてくれる人がいることへの感謝にのみとどめようと決めた。

 

親子ほども歳の離れた人だが、まるで歳を感じさせない。なんなら、この人に年齢があるのかさえわからない。不思議な人。

彼女の存在が、僕の本来の仕事をする上で不可欠であることを悟ったのは、四十九日を過ぎ、天界に戻って後、直ぐのことだ。

 

彼女の手を借りて、彼女の声掛けに思いを寄せてくれた人たちの祈りとともに、最初のミッションは達成された。

かなりの数の魂たちが、元いた場に帰るべくそれぞれの道へと歩みを進めた。

 

その後も、僕が作ったいくつかの天界へのルートは生きていて、その道を辿っていく魂たちは後を絶たない。

それにしても、自ら命を手放す人は増えているのではないか…

 

死を選んだ後の道を作ったからよいわけでない。

この世に生まれてきた以上、生が終わるまで、命を手放さず、生き抜いて生を終えることの方が大切なことだ。

 

自ら死にゆく前に、差し伸べられている手があることを知ってもらわなければならない。

 

少なくとも、僕が命を手放した後、出会ったこの人のように、必ず、その手を繋いでくれる人がいる。

 

信じるかどうかはわからないが、その手に繋がる神や仏というものもいる。

それは、僕がこうしてこちらの世に戻り、魂として存在しているからこそ、

はっきりと言えることだ。

 

独りにしないこと。

独りにならないこと。

僕は強くそれを思う。

同じ意志を持つ彼女も、同じことを語る。

たぶん、この世にはもっと多くの人が、それを語っているだろう。

本気の人を見つけるのは難しいか。

いや、そうでもないかもしれない。

 

こうなってみて思う。

諦めるのはまだ早いってね。