生きるということ
生き抜くということ
生き抜いて
死ぬということ
そんなことを
語り明かした夜
「生き抜いたという感覚は
素直に言ってあるんですよ。」
はにかんだような笑顔を向けながら語ってくれた。
この夜は、仕舞い方に目を向けてほしくないと言い続けてきた言葉の奥にあった思いを伺った。
「僕、若い頃から、生の隣に死を感じて生きてたんです。生と死は表裏一体だと思ってた。
生きてる以上、それはどこか危うさを感じさせるものだったと思うので、
先輩の俳優さんから、遠回しに指摘されたこともありました。」
(割愛)
「昔の日本では、武士が自刃することは誉れだったし、特攻隊が命を掛けて突撃することも美談のような話になっていた。
そこには、様々な背景があって、そういう時代になっていたのでしょうけれど。
時代が違うと、自ら命を断つということは尊いこととされている。
時代と生死いうことを、すごく考えていた時期もあって、命というものをいろんな角度から見つめていたんです。」
(割愛)
「自分自身の命の仕舞い方ということを、常日頃から考えるようなところがあったんです。
生き抜くということが、僕の生のテーマでもあったのだけど、生と死は表裏一体だから、その先には必ず死へと向かうわけで…
どう生きるのかというテーマとともに、どう終えるのかというテーマもあって、
具体的に終わり方を考えていたわけじゃないけれど、自分の中での限界がきた時に、命は肉体から離れていくのかな…みたいな感じがあったかな…
だから、死にたいということではなくて…仕舞い時というのかな…そんなことを考えたりしていました。」
(割愛)
「人間誰しも、心には様々な思いを抱きますよね。笑顔の裏で泣いている人もいるでしょうし、怒ってばかりで恐いと思う人が実は不安だらけで弱かったり…
僕だってそういうところは、たくさんあった。裏表や矛盾が生まれる世界だからこそ、できる限り、丁寧に、誠実にありたかったんですね。」
(割愛)
「生きることは選択の連続でしょう。
何を選ぶかで、未来の描かれ方が変わっていく。ただ、何を選んでも、その未来は自分が選んだものだから、その未来に描かれた絵を楽しんで、好きと思える自分でありたいと思っていたかな。
………
いろんなことをさせてもらった人生でした。
やり甲斐のある人生でした。
たくさんの人に支えられて、たくさんの人に愛されて、振り返ってみて、僕は幸せだったと言いきれる。
だから、生き抜いたって言いきれるんです。」
「僕の人生に関わってくださった人達、
一人一人がかけがえのない存在です。
だから、僕の周りにいた人たち、家族も友人も仕事の仲間も関係者もみんなが好きだし、大切なんです。
僕の大切な人達を誰一人として傷つけてほしくないんです。
今、僕が気になっているのは、僕がお世話になっていた事務所に所属している人たちのことでしょうか…
僕のことを大切に思ってくれている方たちが、僕の大切な人達を蔑むようなことをしないでほしいと、強く願っています。」
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まだ続くのだろうか…と思う記事を目にすることがあるのは、
それだけ、三浦春馬さんという人の存在が大きかったということなのでしょうけれど、この世界を去った後まで気を揉ませるような、そんなことを続けるのは、もうやめてほしいです。
事務所のサイトに、デマ情報を掲載しているサイトや書籍というものがあげられるようになること自体、なんて切ないことだろうと…
冷静になって考えれば、彼の身近にいた方々が、一番辛い思いをしているのではないか…と思えるのではないでしょうか?
たとえ、一時期、距離が離れた友人であっても、友達であった事実は変わらないし、共に過ごした思い出は、そこに関わらない人には理解の及ばない思いがあるはず…
これ以上、誰かを傷つける言葉を投げかけないでもらえたらと願ってやみません。
もう、静かに、彼の作品だけを愛で、
彼がこの世に遺してくれた愛だけを受けとめていきませんか?
彼の御魂との対話を通して、
そんなことを強く感じた夜でした。
『生き抜いた』と、笑顔で語れる彼の御魂が存在しているのは真実ですから