しあわせこころのつくり方

心と魂の癒しのために

秋はじまりの一夜に

30年に渡って、私は神々の依代となり、ご神託を賜っております。

 

ほとんどが、未来に起こる預言的なもので、それが大きな問題に繋がる可能性があるため祈ってほしいと、共に神事を行うよう依頼されるそんな内容です。

 

イタコではないので、基本的には、亡くなられた人を降ろすことはしません。

神様方と違って、人の霊魂を肉体に降ろした後はかなり疲れて、次の日に使い物にならなくなってしまうので、やむにやまれぬ事情がある時以外はしないのです。

 

 

昨夜は、久しぶりに、人であった時の波長の春馬さんが降りていらしたので、

身体に疲れを感じました。

決して、イヤな感覚ではありません。

たくさん泣いた後のような気怠い感じです。

その怠さは今もまだ少し残っていますが、その怠さよりも、今まで感じたことのない感覚の方が私自身を占めています。

温かくて、大きくて、柔らかくて…

清廉潔白というのでしょうか…

清々しくて、心が満たされていくような感謝と感動の感覚とでも言いましょうか今まで感じたことのない感覚です。

 

 

春のほがらかでやわらかな陽射しのあたたかさと、

秋の豊かながらも物静かにすべてを照らす陽射しのような、

両方を兼ね備えた深く広い光。

 

人であった波動で降りていらしたので、生前の彼は、このような人だったのだろうと思いますが、だとしたら、こんな人がこの世に存在していたのかと思う程、類稀なる心の深さ清らかさです。

 

数多くの人と出逢っておりますが(その中には著名な方も大勢いらっしゃいますが)こんな方はそうそう顕れてはこないだろうと思えます。

 

 

 

お話会のひとときが終わり、

様々ないことを終えて、ベッドに入ったものの、眠くて仕方ごないのに、頭が冴えているのか神経が過敏になっているのか、なかなか寝付けにおりました。

ふと気付くと、自分の身体の枠がすっかり無くなっていて、部屋の中は、まるで宇宙空間のようにたくさんの煌めく星が瞬いています。

 

このまま意識がなくなると、

死に至るのかな…

そう思ったのは、自分自身が転落事故に遭い、救急車で運ばれていた時に出会った感覚に似ていたからかもしれません。

そういえば、12年前の昨日9月3日は、転落事故に遭った日でした。。。

 

 

このままでいるのは、肉体的にあまりよろしくないということもわかっているので、一度、自分自身の方へ意識を向け直し、調えてから就寝しましたが、

眠りに就いた後も、ずっと不思議な感覚の中にあって、不思議な夢を見続けていました。

 

一つは、私自身が三浦春馬さんになっていて、友人たちに囲まれ、演劇について語り合っている夢。

 

二つ目は、先日ブログに書いた愛猫ぴい太と今年1月に亡くなった母が出演している夢でした。

 

夢であることがわかっていながら見ている夢でしたが、妙にリアルで、目が覚めて時間が経った今でも内容をはっきりと覚えています。

 

 

昨夜のお話会に参加してくださった方は、どんな夜を過ごされたでしょう…

春馬くんはいらしてくださってたかな?

 

 

昨夜、春馬くんが話してくれた内容については、こちらのブログにも書き記すつもりでおります。

 

ただ、私との会話ではなく私自身に降りていらしたため、私がまだはっきりとお話されていたことを細かく思い出せていないので、少し、お時間を頂戴したく思っております。

 

 

改めまして、

昨夜のお話会にご参加くださいましたみなさま

ありがとうございました🙏

 

また、ご都合悪く参加できなかったけれど、お心を向けてくださったみなさま

ありがとうございました🙏

 

 

滞りなくお話会ができたこと、

ほっとしております。

 

またの機会に

お会いできる日を楽しみにしております。

 

 

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