昨日、通っている鍼灸師の先生と、SNS、YouTube、オンラインの発展と今の若者世代の社会との関わり方と影響についての話をした。
直接会うことと、オンラインで会うこと
何がどう違うのか…というような話…
そこには体温がない。
人の放つ『気』がない。
『気』の交流が生まれない。
目の前のその人が、
本当は何を抱えているのか、
その背景には何があるのか…
人を纏うその『気』の行間に隠れている
様々な色合いに満ちた思いの数々や、
経験に裏打ちされた気の重ねが、
オンライン上では、熱を通して伝わってはこないということなのだと思う。
私自身を振り返ると、オンラインで、たくさんの人の思いに触れる機会は増えたけど、それによって、何かが変わったかというと、さほど影響を受けていないことに気付く。
それはきっと、もう長い年月をリアルな世界に身を置いて生きているからなのだろう。
それぞれにそれぞれの事情があって、
それぞれにそれぞれの思いがあって、
そうして日々は繰り返され、時は流れていく。
時代が違えば、感じ方も生き方も変わっていくのだろう。
日本という一つの国だけをとっても、
縄文時代に生きている人
戦国時代に生きている人
明治時代に生きている人
そして、現代に生きている人では、
天と地ほどの価値観の違いがあるのかもしれない。
けれど、どの時代にあっても、
命の尊さは変わらないのではないか…
身分の差によって、命を無碍にされてしまう人々もいただろうけれど、
身近な人たちにとっては、
その一つの命はかけがえのないもので、等しく尊いものだっただろうし、
その命が潰えることの悲しみは、
いつの時代だって変わらないはず…
その『命』が放つ『気』は、
リアルでなければ伝わらないし、
感じ取ることができないものなのだろうと、思えて仕方がない。
…とすると、オンラインの世界だけに生きていくことの危うさを思わぬわけにはいかなくなる。
そもそも、個人的には、ネット上の世界、コンピューターの仮想空間は、光の波動を感じられないため、好きではないのだけどね…