しあわせこころのつくり方

心と魂の癒しのために

互いを慈しむ心にて笑うておらばそれで善し

何度でも 何度でも

話しておかにゃならんことがある

 

人っちゅう生きもん(者)は

大切思うゆうとったことすら

自分に余裕がなくなると

忘れてしまう生きもんじゃけな

 

 

この世界は

見知らぬもん同士が

互いの違いを知り学ぶためにある

修行の場じゃ

価値観の違う星からやってきて

うちにない思考 やり方を

互いに学び合う場じゃ

 

ぶつかり合うこともあろうが

そこに謙虚さがないとあかん

謙虚さがないと真を学び得ん

考えや価値観の違いに腹立てとったら

何も学ばず 必要なもんも持ち帰れずに

おしまいっちゅうことになってしまうぞ

 

 

地球くらいに受容力のある星は

他にそうそうあるもんやないけな

大事に大事に使わせてもらわんと

 

にんげんっちゅうんは

一番偉い存在みたいに振る舞ふているけどな

一番弱くて 一番愚かな生きもんじゃ

一人じゃなんもできんしな

いつの時代も

人間の暮らしやすいように

人間の生きやすいように

頭を働かすことしかせんから

全体のバランスが崩れ

調和が成り立たんようになる

 

わかった気になって

偉そうにしとるもん程

なんにもわかってはおらんのじゃ

 

 

深き慈悲のきまなざしをもって

小さき小さき命を見よ

 

大きく広い視野でもって

世界全体を見つめてみよ

 

 

われ一人の力など

さほどのものでないとしても

小さき力も集まれば

大きな物事を動かすことのできようこと

忘れてはならんのじゃ

 

何を責めても 誰を責めても

物事は何一つとして変わりはせん

 

慈悲の心でもって

世界の調和曼荼羅を描きて

その一部としての己であれ

 

ただただ学ぶを由として

ありがとうと生きておらば

何もぶつかり合うことも

対立することも必要なしじゃ

 

いづれこの身は果てること

忘るることなく

この星に居させてもらう時間を

大切に過ごすがよい

 

ええかいのう

互いを慈しむ心にて

笑うておらば

それで善しじゃ

 

病も死もなくなりはせん

それがこの世の定め

どんな命も終いがくる

終わり方など誰にもわからん

 

騒がれておる流行り病だけが

死を招く病なわけでなし

 

心騒がず 笑うてさえおらば

いづれ 先立ちた愛するもん(者)が

神仏の光に乗りて その手を引きに

迎えに来てくれようぞ

 

不安なる心は自らが生み出したるもんじゃけな

誰かがよこしたもんじゃないけ

自ら手放せば そこに不安ちゅう影は

消え失せてなくなって

心が軽やかになるもんです

 

笑うて 笑うてな

それでも 苦しゅうて笑えんかったら

わしらんとこにきて祈ってみたらええ

 

神域 聖域といわれる場には

あんたさん達がこの世に生きる中にて

迷いの生まれた時に

心静めて 

己の中にある真の智慧に繋がるための

道標の光を宿しておる

 

静かに心定めて 一心不乱に祈りて

神仏と対話をなさしめんとすれば

自ずと答えも見つろう

 

それでも 答えが見つけられなんだら

信頼のおける人とな

しっかりと対話をすることじゃ

 

 

わしんとこに来るんじゃったらな

真の問答をつけて差し上げますけな

この人を尋ねんしゃい

 

真の理をな しっかりと携えて

生きていかば

笑うて 笑うて 軽やかに

生きておられるようになりますよ

 

f:id:nekota-nekokichi:20210912114940j:image

紀日侯(神変大菩薩役行者)記

2021.9.9