人の世は常ならぬもの
同じようにみえていても
同じものなど一つとして
ありはしません
今日の私は
昨日の私ではなく
明日の私も
今日の私ではありません
見た目変わらないし
気持ちも変わってないのに?と
思うかもしれませんが
細胞レベルでは
まるっきり違う存在に
なっているのですって
常なるものはないのに
日常という……
同じようにみえている日々を
日常というのならば
2021年と2019年の日常は
すでに質の違う日常になっています
それでも私たちは
毎日を粛々と生き
一日 一時間を
一分を 一秒を
重ね重ねて生きていくことを
続けるしかありません
であれば
どうやったら
その一瞬一瞬を
感謝して
楽しんで
善き心で
生きることができるのでしょう
いずれは誰だって
この世から離れていきます
10歳で離れていく人もいれば
100歳で離れる人もいる
10歳で戻っていく人が
悲しみ多き人生かといえば
そうとも言えないし
100歳長寿の人が幸福に
終わりを迎えたかといえば
そうとも言えない現実もあります
わたし達人間は
基本的には
死を選べない
何で死ぬか
いつ死ぬか
誰もわかってはいません
事故で亡くなった人が
「今日でさよならだからね〜」と言って
家から出掛けるわけでなく
別れは突然にやってくるのです
新型コロナの話題だけで
充満しているようにみえる世界も
もっと様々な生死の物語があります
コロナだけで死ぬわけでなく
コロナのことだけで
日々が進むわけでもない
確実に地球温暖化は進んでいて
先日はグリーンランドの3000m級の山に雨が降ったとありました
そのニュースに意識を向けた人は
世界にどれくらいいたでしょう
アフガニスタンの情勢に
心から意識を向けて
なんとかしたい
なんとかできないものか…と
心を痛めている人は
世界にどれくらいいるのでしょう
アフガニスタンだけではありません
ミャンマーだって シリアだって
内戦は続いています
空爆が日常的に起こる地域に
生きている人からすれば
コロナよりも
空爆の方がよっぽど恐怖かもしれません
そんなことを思い
祈りを捧げる人は
日本にどれくらいいるでしょう…
私たちは外からの
強い刺激に繰り返し晒されると
それに振り回され
自分自身を見失ってしまいがちです
自分自身が変わり続けているように
世界は常に変わり続けています
変わり続けている世界に
自分を適応させて生きてきた結果が
人間を含めた今の地球の生き物たちです
たぶんわたし達は
右往左往しながらも
この難局を乗り越えていく
種族の一つなのでしょう
だからこそ 今
ここに生きている自分は
自分の意思で生きながらも
たくさんの命に支えられて
生かされていることを
忘れてはならないのだと思うのです
常に 今という時を重ね続けて
今に生き 生かされてあることを…