しあわせこころのつくり方

心と魂の癒しのために

3月10日(編集、追記あり)

3月10日のタイトルを見て、今日は何かある日だっけ?そう思われた方もいらっしゃるかもしれません。

 

この日がお誕生日とか、大切な記念日という方もいらっしゃるでしょう。

どんな日でも、それは誰かにとっての特別な記念日です。

 

では、明日「3月11日」となると、

違う思いが湧いてくる人も多いかもしれません。

 

もちろん、この日が誕生日の方も、結婚記念日の方もいらっしゃるでしょう。 

 

そのような方にお会いしたことがありますが、どこか複雑な思いがする…と仰る方、特別な日だからこそ、今、自分が生きていられること、家族と過ごせることに感謝している…と仰る方々もいらっしゃいます。

 

 

日常は、当たり前のように刻々と時を重ねていきます。

「おはよう」

「いただきます」

「ごちそうさま」

「いってきます」

「おかえりなさい」

 

家を出る人、家を守る人の中で、

当たり前のように交わされる挨拶。

 

喧嘩をしての「ごめんなさい」

嬉しいことがあっての「ありがとう」

 

現代日本を生きるわたし達にとって、

2011年3月10日までは、

それが当たり前の日常でした。

 

 

あまりにもたくさんの人たちにとって、

それが当たり前ではなくなった日…

それが、

2011年3月11日 

 

たくさんのいつもの会話たち、

目の前にある笑顔たちが、

どれほどに大切なものか…

それに気付いた日…

 

 

 

わたし達は、いつも日常の中に生きています。

3月11日のような日が訪れる可能性のあることを、どこかに置き忘れて…

ずっと心に留めておくと、不安にかられ恐怖に怯えて生きることが難しくなってしまいますから、ずっと持ち続けていなければいけないわけではないと思います。

 

ただ、忘れずに心の片隅に残しておいてください。

この日常は当たり前ではないことを。

 

 

2011年3月11日から明日で11年。

時間薬とともに、その痛みや傷は、

たしかに少しずつ癒されていると思います。

けれども、お一人お一人の心の中には、

その傷のかさぶたが残っているのだと、私は感じています。

どんなに笑っていたとしても…

 

 

災害は、いつ、どのような形で、

襲い掛かってくるのか、

それは誰にもわからないことです。

 

 

「まさかロシアがウクライナ🇺🇦へ戦争を仕掛けるなんて思っていなかった。

砲撃される前日まで、何事もなく、普通の日々を送っていたのに…」と、泣きながら語っている女性の映像を目にしました。

 

どこの国であっても、そこには

『暮らし』という日常の営みがあります。

一瞬にして奪われることを思い描きながら暮らしている人はいないはずです。

 

誰だって夢を持ちたいし、

誰だって幸せになりたいのです。

 

 

それでも悲しいかな、災害(自然災害であれ、人災であれ)は起こってしまうものです。

 

 

だからこそ、

今日の日常が、

どれほどに特別で、

どれほどに大切な時間であるのかを、

忘れずにいたいと強く強く思うのです。

 

 

変わり映えのない日常の時も、

特別なかけがえのない時。

 

その日々の中には、

ちいさなしあわせが散りばめられています。

宝石のような時を刻んでいくのか、

ただ時に流されていくのかは、

自分自身の心次第です。

 

営みの中にある

喜びのとき

美しいとき

幸せなとき

それが当たり前ではないことを、

もう一度、心に刻み込んで、

明日3月11日を迎えたいと思います。

祈りとともに…

 

 

 

追記 :  調べてみると、77年前の3月10日は、東京大空襲があった日だということがわかりました。

東京への空襲は、1944年(昭和19年)11月24日から1945年(昭和20年)8月15日までの106回。特に、1945年(昭和20年)3月10日、4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日-26日の5回は大規模で、その中でも「東京大空襲」と言った場合、死者数が10万人以上の1945年(昭和20年)3月10日のことを指すそうです。この日の空襲だけで、罹災者は100万人を超えたそうです。wikipediaより)

 

今、平和な日本に生きていられる私たちは、過去の深い痛みを経験し、それを乗り越えていらした方々の上に成り立っていることを忘れずにいたいと思います。

 

f:id:nekota-nekokichi:20220310192901j:image