しあわせこころのつくり方

心と魂の癒しのために

神事というもの

お神社などで行う御神事と、

私のような者が行う神事は、

意味合いが違います。

 

お神社で行う御神事は、

神様を讃え、神様にお喜びいただき、

神様に感謝をお伝えし、

時には、神様から恩恵をいただくために、

行うことがほとんどでしょう。

 

 

私のような一介の民間人が、

御神託を受け取り行う神事は、

問題が起こっている場の浄化であったり、

大地を鎮めるためのものであったり、

何か問題があることに対して、 

神様(高次の存在)と、

その場(土地)のエネルギーと、

人間の三者によって、

その問題を解消、解決するためのもの。

 

なぜ人間がその場に参加しなければならないか…というと、

人間がこの地球の自然を壊す側の存在になってしまっているからです。

 

 

ちょっと考えてみましょう。

私たち人間は、地球からの恩恵を受けなければ生きていけません。

けれど、地球は人間がいなくても生き続けることができるのです。

当たり前のことですが、そんなことすら考えずに生きている人がほとんどだと思います。

 

 

地球という星は、

マグマの『火』と海の『水』により

作り上げられている『かみ』の星です。

この星そのものが『神』の質を持つ存在で、

神の星ゆえに、様々な『神々』が降り立つことができるのです。

 

そのような『神の星〜地球』に、

私たち人間は、新参者として誕生した存在なのですが、そんな新参者が、地球の資源を勝手に使いまくり、環境を壊しまくっています。

「地球の環境を考えて生きています…」という人であっても、人間として生きている以上、無関係とは言いきれないでしょう。

 

 

人間よりも先にこの地球に降り立った存在たちは、人間のことをどのように見ているでしょう?

私は、人間は決して、地球の王者ではないと思っています。

霊長類と言われますが、それは人間が作った造語でしかありませんよね。

人間はすべて人間を中心に物事を考えて、長い長い年月を暮らしてきてしまいました。

 

地球は、人間のものではありません。

この星に生きるあまねく生命、そして先に降り立った神々、すべての場なのです。

 

 

動物たちが何を語っているのか、人間はわかりません。けれど、動物の方は、案外、人間の言葉をわかっています。

神様方の言葉も聞く事ができないのが人間です。

けれど、神々は人間の思いや言葉をわかっていらっしゃる。

私たち人間は、そんな程度なんです。

 

けれど、人間には、思考する脳があり、知恵もあります。

それを使いこなす手や足があり、意識すること、行動することもできます。

 

 

【地球の環境問題を自分事(ひとごと)として考え行動すること】

今、それがとても大切なことになっています。

 

 

それと同じく、

地球に棲まう神様の場を壊し、神様の気枯れを起こさせていることに対して、行動すること…

それが『神事』です。

 

特別な人間が行うことが神事ではありません。

神事は誰しもが行えること…と常々、私が伝えているのは、そのような理由です。

 

誰もが気付き、祈りとして意志を伝えることができるものだからです。

 

 

人間が起こしてしまった問題を、

人間である私たちが自分の思いと行動で少しでも解消したい…

ただそれだけの気持ちさえあれば、

神事を行う資格があるのです。

 

逆に、自分しかできないとか、

自分ならできるとか、

自分を特別視してしまうような人は、

神事を行うことはできません。

なぜなら、そこに神が降りてこないからです。

 

神々は、美しい心を持つ存在がお好きなのです。

謙虚と感謝の心を持つ美しい心の人の元にしか

降りてはいらっしゃいません。

 

ですからね、神様が降りてくるという人であっても、そんな自分のことを勘違いして『特別』だなんて思っていたら、あっという間に、神様でなく、低次元の存在に取って代わられ、低次元の霊などに操られて生きていくことになってしまうのですよ。

 

常に、自分を見つめてください。

特別な存在など、この世界にはいないのです。

誰もが等しく尊い光の珠を持つ存在です。

 

誰もが地球に生まれることを願い、

地球にて経験したいことがあり、

生まれてきた存在だからこそ、

この地球への感謝を忘れず、

そして、この地球に先に棲まう存在への敬意を忘れずに生きていくことが、大切なのです。

 

 

〜まとめ〜

特別な人が特別なことをするのが神事ではありません。

この地球に対しての感謝の思い…謝罪の思い…
そのような思いを持って、こんな自分であっても、この地球、この地球に棲まう神々、あまねく生命に対して、祈る……それが神事(かみごと)です。

一介の民間人は神職ではありませんから、
祈ることだけをしているのでは意味がありません。
人として、行動をしていくことが伴っていなければ、意味がないものと、私は思っています。

 

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意識を変えていくことで

自分から変える

自分の意識から変える

自分の人生だから

自分の思うように…

 

そんなありふれた言葉

巷に溢れかえっていて

見飽きてるし

聞き飽きてるよね

 

頭ではわかってる

自分のどこに問題があるのかも

わかってる

けど

変わらない

変えられない

 

 

いろんな本を読み漁る

いろんなワークを受ける

たくさんの外からの情報を

たっくさん自分に入れ込んで

頭で考える

ぐるぐる🌀ぐるぐる🌀

 

 

………

 

あのね

もう

その時点で

自分自身から離れてしまっているのです

 

思考を巡らせるのは

自分自身のためじゃない

 

自分自身を磨くため

自分自身を善くするため

それだけのために

思考を巡らせても意味がない

 

思考を巡らせるのは

自分のためだけでなく

誰かのため

この世界をよりよくするために…。

 

その意識がなければ

ただぐるぐる🌀の森にハマるだけです

 

 

 

自分自身の人生を

豊かに 幸せにしたいなら

行動するしかありません

 

身体に問題があるから行動できません…

そういう人もいらっしゃるかもしれません

 

でもね 行動って

体を動かすことだけに限らないのです

 

 

自分の思いを伝えること

言葉にすること

文章にすること

形にしていくこと

それだって行動の一つです

 

行動とは表現でもありますから

思いを表現して

形にしていくことで

新しい何かが生まれます

 

 

自分が行動したことを

自分だけに留めずに

誰かに伝えてみると

さらに次に繋がるかもしれません

 

 

自分を信じて

前へ進もう

 

 

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すべての人が特別なんだよ

神様から選ばれた人

そんな人はいない。

 

選民意識など

神仏の高次の世界には

微塵もないものだ。

 

神の声を聞く者

精霊の声を拾う者

動物と話せる者 ……

それらが出来る人が

自分は特別と思っているなら

その時点で 

神の声ではない

「神を語るモノ」の声を拾っているのだ。

 

 

特別になりたがる人間の心は

そう簡単には手放せないかもしれない。

たとえ

それが善意からのもので

人を救いたい

命を救いたい

地球を救いたい…というような

善意の思いであったとしても

 

自分しかできない

自分ならできる

自分なら守れる ……

という幻想にかられている以上

神仏と繋いでいたはずの手は

離れていると知った方がよい。

 

謙虚に振る舞っていたとしても

振る舞っているだけでは

真実ではないし

感謝の意を伝えていたって

心から感謝が生まれたのでなければ

それは単なる言葉でしかない。

 

 

神々が人を選んだわけではなく

その魂がそれを選んできただけ

その魂を乗せた自分が

その役目を果たすために

人として

人間であるゆえのエゴを外し

自らを調えて

その事を為していく

それだけの話だ。

 

 

私は特別ではない。

そして同じく 

誰も特別ではない。

 

私は選ばれてはいない。

自分が選んできただけだ。

この世の神に乞われているわけでもない。

乞われているのは

私の本体が受け持つ光の源だ。

 

 

人であるということは

そういうこと。

 

みんなそれぞれ違うから

それぞれの役割を担うだけ。

 

 

だからこそ

特別ではないし

すべての人が特別なんだよ。

 

 

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怒りに支配されない心づくり

心理学者のアドラーは、人が怒りの感情を持つのは4つの目的を果たそうとしているためであると伝えています。

 

① 支配

『親子や上司と部下などの関係で、相手を自分の意のままに動かしたいと思う気持ち』

② 主導権争いで優位に立つ

『夫婦間、社内、仲間内等で、自分が主導権を握りたいという気持ち』


③ 利権擁護

『自分の権利や立場を守りたいという気持ち』


④ 正義感の発揮

『正しいことを教えたいという気持ち』


すべて人間関係の中で沸き起こる感情で、

その気持ちを満足させようとすることが怒りとして表現されます。

 

④の正義感については、自分が正しいと思っている正義であって、他の人にとっては正義ではない可能性もありますね。

 

 

心理学の世界では、怒りは第二感情であると言われています。

第二感情とは、二番目に出てくる感情のことで、怒りの感情が生まれても仕方ない出来事に出会った時に、実は怒りよりも先に生じている感情のことなのです。

怒りが発動する直前に生じた感情が、第一感情というものになりますが、ほとんどの場合、怒りの裏に隠れて自覚されません。

 

ほとんどの場合、悲しさ、寂しさ、恥ずかしさ、不安、困惑、恐れ…などのネガティブな感情が生まれているはずです。

 

 

・心配が怒りに変換される

・さみしさが怒りに変換される

・虚しさが怒りに変換される 

 

………

 

怒りは一瞬のことで、制御できないことがほとんどですが、実は、怒りの奥には、他の感情があると知るだけでも対策ができるようになり、

怒り以外の表現が可能になっていきます。

 

 

 

ポイントを二つほどあげておきます。

まず一つ目

【怒りの奥にある『本当に伝えたい気持ち』を伝えるようにする】

 

私は、自分が陥りやすい怒りのパターンを知っています。

心配が昂じてしまう時。

理不尽と感じる言動や行動に出会った時。

特に、子どもの頃から、理不尽さに対しての反応が強く、悲しみから怒りへと転じてしまいやすいのです。

ですので、自分の中から沸き上がる感情との距離をうまく保つようにしています。

 

みなさんも、それぞれに怒りが発動するパターンがあるはずです。

寂しい時に怒りになるとか、

悲しい時に怒りになるとか、

心配な時に怒りになるとか、

自分の思い通りにならないと怒りになるとか…

 

怒った時のことを思い出して、その奥にある感情を見つめてみてください。

そして、次に怒りを感じた時には、一次感情の方の気持ちを伝えるようにしてみてください。

 

自分の怒りの傾向がわかれば、少しずつ扱えるようになっていくはずです。

 

 

二つ目は

【 I (アイ)メッセージで伝える】

 

怒りは相手にぶつけることがほとんどですよね。

「あなたが悪い」というニュアンスで話してしまうことが多いため、それでは相手は受けとめられないのです。逆の立場なら、やっぱり難しいでしょう?

 

伝えたい気持ちがあって話しているはずなのに、受けとめてもらえないように伝えていたら、

話をしている意味がありません。

 

相手が受けとめられないような伝え方をして損をしているのは、実は自分自身だということに気付きましょう。

 

怒りを感じた時は、一次感情を、Iメッセージで伝えること。

Iメッセージとは、『私』を主語にして伝える方法です。

たとえば、帰りが遅い夫に対して

「私はね、あなたに何かあったのではないかと、すごく心配したんだよ。遅れる時は連絡をくれると心配せずに済むから次からは連絡をしてね」

…というような感じです。 

実はこれ、わが家ではよくあることでした。

特にお酒が入ってしまうと、かなりの頻度で起こります。

心配が過ぎた上に、さらには、夫のお酒へのマネジメントの出来なさに、イラッとして、

つい口調や言葉がキツくなる。

相手に残る感情は「きみは怒ってばかりいる」ということだけ。

それでは、まるで意味がありません。。。

なので、伝え方を変えたのです。

夫が完璧に変わったかといえば、

そんなことはありませんが、

こちらの気持ちは伝わり、

改善しているところもあるのは事実です。

 

 

 

【まとめ】

困ったなという思いや、わかってもらえなくて悲しいという思い、心配する気持ち、寂しさを理解してもらえない気持ち…

そんな思いが第一感情というもので、

その感情から沸いてくるものが怒りに転じてしまうものであることを知っておくだけでも、

怒りをマネジメントしやすくなります。

 

本心であるはずの第一感情に比べて、怒りのエネルギーはとても強いものですので、

相手に伝わるのは第二感情の“怒り“ばかりになっていることを知っていてください。

 

本当の気持ちを置き去りにしたまま、怒りだけが伝わってしまうと、大切な人間関係が壊れてしまうこともあります。

 

さらには、怒りに翻弄されてしまう自分をイヤになり、自己嫌悪に陥ったり、自分を赦せなくなることさえも起こります。

 

それでは、本末転倒です。

 

自分自身の本当の思いや願いに気付くことができれば、怒りをコントロールしやすくなるはずです。

 

怒りが沸き上がってきた時は、深呼吸をして、

ちょっと落ち着きを取り戻してから伝えましょう。

本当に伝えたい気持ちを相手が受け取りやすい適切な言葉で伝えることの方が、自分にとっても、相手にとっても、幸せな未来に繋がります。

大切な人達とのコミュニケーション

より良いものにしていきましょう💓

 

 

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見えないモノを壊す力

目に見えるモノを壊すのは、

ある意味、簡単です。

 

手が滑ってお皿を割った

拳で叩いて窓ガラスを割った

車をぶつけて壊した

 

単なる手違いであれ、故意であれ、事故であれ、

目に見えるモノが壊れるのは、

はっきりとわかります。

 

大切なモノが壊れてしまったら、

それはそれはショックですし、

悲しみが深くなることだってあります。

思い出深い品が壊れてしまったら、

喪失感に苛まれることだってあるかもしれません。

 

 

では、見えないモノが壊れるとは、

一体、どういうことでしょう?

みなさんは、そのような場面を想像したことはあるでしょうか。

 

 

目に見えないモノとは、

たとえば、人の心がそうですよね。

その他には、

空気、空間、

守護霊、精霊、妖精、神様…

神様のような目に見えない存在が創り出している次元や空間…などなど…

 

 

怒りMAXになってしまい、目の前の人に罵声を浴びせて、殴ったり、物を投げつけたりというようなことが、残念ながら起こってしまうこの世界ですが、そんな時、大きな負のエネルギーは、その周りの空間にも影響を及ぼしていて、

目に見えない空間に亀裂を生んだりとか、

守ってくださっている守護霊さんたちを傷つけたりとか…そういうことをしちゃってるんです。

 

 

特にエネルギーの強い人のエゴによる怒りや

その言霊は、あなたが気付いていないだけで、

目に見えないモノたちを傷つけたり、壊したりしてしまっていたりすることがあるのです。

 

たとえば…ですが、

このブログをずっとお読みくださっている方は、

知っていらっしゃるであろう春蕾光明神が、

還ることのできない魂たちのために創り出している新たな次元の空間をも揺るがして、壊してしまうかもしれない…ということです。

 

 

そういうネガティブエネルギーを放出している人は、幸せからどんどん遠ざかっていきます。

だって、周りから人も守護霊も守護神も、離れていっちゃうのですから、当たり前ですよね。

 

幸せになっていないのは、自分のせいだと気付いた方がいい。

 

幸せになんかなりたくないと、虚勢を張っている人もいるかもしれないけれど、

それなら、他者を巻き込まず自分だけに留めるべきです。

 

 

自分の言葉と行いに

責任を持てる大人であること

せめてそれくらいはできる人でありましょう。

 

 

言葉と行いにおいて

神仏、光の存在を前にして、

恥ずかしくない自らを育てていくこと。

 

もし、過去に自分がやらかしてしまったことが

たくさんあったとしても大丈夫。

気付いた時から始めればいいんです。

 

過去を変えることはできません。

でも、今と未来は変えることができるもの。

 

 

 

破壊してしまったならば、

再生を促して

 

再生から

新しき美しい流れを

作り出してください

自らの心の中に…

 

 

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天赦日・寅の日・一粒万倍日

今日2024年3月15日は、

天赦日、寅の日、一粒万倍日と三重の重ねの吉日だと、目にする機会が増えました。

 

最近では、天赦日や一粒万倍日は縁起のよい日と、目にすることも増えたかもしれません。

でも、寅の日なんて聞いても、何のことやらな人がほとんど時代。普段なら、干支にちなんで日和のことなど、気にもされていないはずですものね。

 

ちなみに、一粒万倍日は、一粒の種が万倍に増えるという意味なので、

寿ぎの種であっても、凶の種であっても、

万倍に増えてしまうということですから、

間違えて覚えないようにしてくださいね。

 

 

さて、寅の日とはなんぞや…ですが、

きっと思いついていらっしゃる通り、

干支を基準に12日ごとに巡ってくる日のことで、吉日と言われているのですね。

 

虎の黄金色の模様は金運の象徴とされており、

寅の日は特に金運に縁がある「金運招来日」とされています。

七福神の中の毘沙門天のお遣いとなる虎さんが「寅の年の寅の月の寅の日の寅の刻」に現れたことが由来となっているとも言われています。

 

そんな寅の日は、出て行ったものが必ず戻ってくる日とされており、お金の出入りの他、

旅に出た者が安全に戻ることができる日と言われているので、古くは、この日に旅立ちをするように日を選んでいたのです。

昔の旅は、今とは違って命懸けだったのでしょうね。

 

 

先にも書きましたが、お金にまつわる吉日と言われますので、お金にまつわるアイテムを選んだり、使い始めたりするのに善い日なのです、 。

寅さんの毛色である黄色系に近い色の財布を選ぶと、より効果が上昇すると言われていますね。

 

で、この寅の日と一粒万倍日が重なるので、

さらにさらに金運が上がるんじゃないの〜⤴️

ということで、SNS上でも、ちらほらとこの話題があがってきています。
 

天赦日については、以前も書きましたので、

簡単に…読んで字の如く、

天が赦すと書いて天赦日。

天が万物の罪を赦す日という意味を持ちます。

天赦日は、日本の暦の上でも最上とされる大開運日で、年に5~6回しか訪れない貴重な日となります。

 

でもでもよ

いくら天が万物の罪を赦すからと言って、

悪事を働くのはNGですよ。

それは、どんな理由があっても、

許されないことだから。

悪事を働くと、自分の魂は知っているので、

後で、自分自身が辛くなっていきます。

バチがあたった…とか言いますが、

バチがあたるというよりも、自分自身の良心が痛んで(本人にその意識がなくても、魂にはありますので)

バチのようなものを自分で引き寄せてくるのです。

だから、万が一、何か悪事に繋がるようなことに手を染めなければならない状況に陥ってしまったら、「それは本当にやっていいこと?」と、

自分の良心に問い合わせしてくださいね。

ダメだと思っているのにやってしまったら、

その後、ほんっと〜に大変になりますよ〜

 

…と話が逸れましたが…

そんな本日3月15日は、

とても素晴らしい吉日でございます。

 

ちなみに、毎月1日と15日は、

神様の日とも言われます。

旧暦では月の満ち欠けを基準とし、

毎月1日は新月(新しく物事がスタートする日)、

15日は満月(物事が完了する日)となるよう決められていたことによるものなのですが、

物事の始まりと終わりの節目ということもあり、その節目の日に神様にお参りすることで、

願いが成就しやすいなどといわれているのです。

 

 

 

そんな吉日ではありますが、
寅の日には、死者がすぐ帰ってくるとか、

彷徨って戻ってきてしまうなどの理由があるそうで、お葬式を避ける風習があるとのこと。

 

 

暦って面白いですね。

 

迷信と言ってしまえばそうかもしれませんが、

せっかくの吉日の佳き日、善き流れにあやかって、お財布新調したり、善きことを行うなどなさってみてはいかがでしょう🍀

 

 

 

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ぼくもトラさんにみえる🐯?

 

 

見えないものを観るチカラ

『目に見えないモノを観ることができる』

それは特別なことだと思いますか?

それができる人は特別な存在だと思いますか?

 

世の中的には、

すごい人とか、アヤシイ人とか、

ちょっと特別扱いされやすいかもしれません。

 

でもね

このチカラって、

魂世界なら当たり前のことなので、

特別なことなんかじゃないのです。

それはなんとなくわかるでしょう?

 

人間世界になると、それができることは、

すっごいことになってしまって、

特別扱いされてしまう。

特別扱いされた人は勘違いして、

どんどん豚さん木に登っちゃう🌲🐷(←驕り高ぶる)

 

そうすると、せっかく観えているチカラも劣化して、悪〜いモノに繋がっちゃってね、

真実が観れなくなっちゃう。

 

でも本人は自分が観えているモノを信じているから、神様じゃないモノを神様と崇めていることになっちゃう。

 

そういう人にアドバイスを求めてしまうと、

真実ではないことを伝えられてしまうこともあるのですね…

そうするとね、人生が狂ってしまいます。

 

もちろんその霊能者さんだって、

人生は狂ってしまっているはずです。

悲しいことにね…🥲

 

 

 

何度も言うけれど、

この見えないモノを観るチカラって、

すごいことでも、特別なことでもありません。

誰でもそういうチカラは持っていると聞いたことはあるかもしれませんが、それは事実だと思います。

 

でも、その能力を開花させたいと思って、

いろんなことを試しても、何一つ、その能力は開かないという人も多いはずです。

 

なぜかわかりますか?

 

それはね、

今生、このチカラは要らない。使わない。

と、決めてきたからです。

ほとんどの人がそうだと思います。

 

だって、地球に生まれてきてまで、

魂世界と同じようなことをしても仕方がないでしょう?

このチカラを使わなくても、うまく生きていくこと、

このチカラがないからこそ、学べることを学びたくてきてるのですもの。

 

見えないモノを観るチカラを持っている人を

羨ましいと思う人も多いみたいですが、

せっかく、そのチカラを手放して、この地球にいるのですから、その自分でこの世界を生きることを堪能していただきたいと思います。

 

 

そもそも、人は、目に見えるモノをどこまで観えているでしょう。どこまで感じとっているでしょう?

きっと私たちは、目に見えているものすらも、

そこまでしっかりと見てとって感じとってはいないのではないでしょうか。

 

 

私の元には、見えないモノを観るチカラを育みたいと学びにいらっしゃる方も多いですが、

見えないモノを観るチカラを育むことだけを、私はお勧めしていません。

 

このような能力を開花させることを役割として決めてきた魂だったとしても、自らを調え続けることを怠れば、あっという間に転落していきます。

 

見えないモノを観るチカラを望んで無理をするよりも、

その目が見えることをまずありがたく受けとめて、その目に映る光景を大切になさってください。

 

その方がきっと、この地球を楽しんで生きていけるはずですから🌸

 

 

 

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上手に生きる

何かを我慢している人ほど、

他者に対して、

イライラや怒りを抱きやすい💢ものです。

 

「自分はこんなにやってるのに

あなたは何もしてくれない」

 

「こんなに頑張っているのに

誰も認めてくれない」

 

「何度言っても理解してくれない」

 

「なんでこんなことできないの?!」

 

 

家庭の中でも、仕事場でも、

ストレス溜まりまくって、

それでも私が我慢すれば…と、

ついつい飲み込んで、頑張ってしまう。

 

でもね

飲み込んでいるつもりであって、

決して、飲み込めてはいないし、

飲み込めていたとしても、

なんなら消化不良で食あたり起こしてるみたいに

なっちゃっているのではないでしょうか〜

 

それって、誰も幸せになってないと思うのですが、いかがでしょう?

 

 

みんな、それぞれに価値観は違うし、

考え方も違うでしょう。

けれど、もうちょっと高いところから、

俯瞰して見てみましょうか。

 

ほとんどの人は、

誰かの役に立ちたいと思っています。

ほとんどの人は、

優しくありたいと思っています。

ほとんどの人は、

幸せでありたいと願っています。

 

誰かを押し除けて幸せになってやる!という気持ちの人は、あまり見かけません。

 

とすると、

価値観が違うというわりに、

案外、思いは共通していませんか?

 

違うのは、もしかしたら、

表現の仕方なのかもしれません。

だとしたら、

伝え方や聞き方によって、

問題が発生しているだけなのかもしれません。

 

 

悪意があって攻撃してくる人は、

ほとんどいなくて、

攻撃してくる人も、何らかの正義感があるものなんです。

いや、それを良しとは思いませんよ。

でも、悪意がないならば、

もっと自分の優しさの方に、

もっと自分の愛の心の方に、

表現方法を変えていけばいいだけなのではないでしょうか。

 

 

攻撃してしまう人の典型的な例としては、

・何かを我慢し過ぎている 

・恐怖心が強い

・不安に苛まれている

といった感情に支配されていることが多いです。

 

心が病的になっていく人の特徴でもあるかと思います。

生い立ちや育った環境、教育によって、そのような心情が作られていってしまったものだと思いますが、

だからと言って、そのままその中にいても、

自分も周りの人も、誰も喜びはしないし、

幸せにはなれないですよね。

 

捻くれている人もいるかもしれませんが、

それで自分は本当に幸せなのか突き詰めていくと、決して、このままでよいとは仰らないのです。

 

どんなに大きな組織であっても、

そこに集う人それぞれは、個別の人でしかありません。

妖怪や怪獣が宇宙人がいるわけではないのですから、とりあえず、話は通じるはずなんです。

 

通じないとしたら、それはたぶん、

どちらかが、もしくは両方ともに、

ファイティングポーズをとった状態で、

関わりを持っているということでしょう。

 

相手の牙を抜くためには、

自分の牙を先に抜いておかなければならないのです。

 

そんなことしたらやられちゃうって思うかもしれませんが、

そう思っているから、戦いが始まっちゃうんですよね。。。

 

 

まずは、我慢をやめてみましょう。

言いたいことがあるなら、

我慢せず、そして相手に伝わるように、

伝えてみることをしてみませんか?

何度も伝えてるけど、伝わらないからイライラしてるの!と思われた方、

相手が受けとめられるように伝えましたか?

 

自分の思い込みはないでしょうか?

 

相手にレッテルを貼っていたら、

まず、伝えたいことの半分も伝わらないです。

自分に当てはめて考えてみれば一目瞭然ですよね。

 

ダメなヤツ 

困ったヤツ

わからないヤツ

といった上から目線から貼り付けたレッテルは、

相手だってわかっていますよ。

そんな人からの言葉をまっすぐに受けとめられるはずがない。

 

まずは、自分がニュートラルであることが大切なのです。

自分がニュートラルであれば、自ずと要らない力は抜けてきます。

ニュートラルであるということは、

自然体であるということに近いかな。

そんな穏やかな自分を作りあげてから伝えるのです。

 

そもそもニュートラルな状態の自分になれていたら、いつのまにか我慢をしている自分ではなくなっているはずですけれどね🍀

 

そういう状態であれば、実は、周りの人がどうであろうと、あんまり気にならなくなるものなのです…

 

 

自分がそこまでの状態になっていても伝わらないなら、まだ自分が足りてないのかもしれませんが、そこはそんなに自分を追い詰めるべきところではありませんので、

距離を置いて付き合いましょう。

付き合う必要がない人なら、関わらない選択をしていくのも🆗です。

 

 

まずは、自分から。

我慢しないためにも、

上手に聞ける人、上手に伝えられる人になっていきましょう。

 

 

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ここたまお話会のご案内

3月16日 (土) 21時〜22時

オンライン【ここたまお話会】にて

『自分自身の扱い方〜弱点のマネジメント〜』をテーマにお話をさせていただきます。

 

 

自分を嫌いになりやすい

自分にNGを出しやすい

自分に自信が持てない

思考の癖を変えたい

善き流れに乗りたい

幸せになるための考え方を知りたい

 

そのような方はぜひ

このお話会にご参加になってみてください。

 

 

参加申し込み、お問い合わせは、

murasakii.no.hana@gmail.com

ここたまお話会 主催の粕谷恵さんまで。

 

もしくは、

Instagram 

https://www.instagram.com/kokotama_kamiyo?igsh=MThqMHpqZ24ydGw5&utm_source=qr

上記をフォローしてくださいませ。

 

よろしくお願いいたします。

 

 

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弱点のマネジメント

先日行った研鑚会にて、

自分の弱点というテーマでお話をするワークを行いました。

弱点と言われた時、短所をお話される方が多かったのですが、弱点と短所って似ているようで、ちょっと違うのです。

 

ネットで調べてみると…

【弱点とは、不十分であったり、対象が苦手とする事、またはうしろめたいと思っている事等である。そこを突いてやれば、簡単に倒せたり潰れたり崩せてしまえる様な弱い所を指す。

直接的な反対語は無く、強み、武器、特長等で代用する。「短所」とは違い、別に悪い訳では無いものも多い。

短所とは、劣っていたり、足りていない所といった、人の性格の直すべき悪い所の事である。反対語は良い所を意味する「長所」。】

なんて感じで書かれてありました。

 

ちなみに短所について…個人的には、短所はひっくり返すと長所になるものでもあると思っているので、性格の直すべき悪いところとは思っていませんけどね。。。

 

 

話を元に戻すと…

自分の弱点というものを知っておくことは、

自分自身を調えるために大切なポイントになるものだと私は思っています。

 

弱味を知り、その弱点をオープンにするならば、つけ込まれることは、ほとんどないと言って等しいでしょう。 

 

誰しも弱点は持っていますので、

恥ずかしいことでもないのです。

「恥ずかしい」と思うから隠したくなる。

見られたくないような過去の出来事やダメな自分も、自分から話してしまえば、その人の「経験談」でしかありません。

その経験談こそが、今まさに困っている人の救いになることすらあるのです。

 

弱点を克服するために頑張るのでなく、

弱点をマネジメントしていくことの方が、

自分自身の扱い方も楽になっていくと思います。

 

…もちろん克服したい人は克服するために頑張っていいですけれどね。

 

他人様にご迷惑をかけるような行為はNGですから、

自分の弱点がとんでもないくらいにご迷惑をかけてしまうようなものなら直す努力は必要でしょう。

でも、頑張っても直らないよ〜というものなら、

自分から「すみません。私、ここが弱点なんです。お力貸してください。」って、素直に伝えてお願いする。

その方がずっと円滑な関係性が作れます。

 

 

 

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