しあわせこころのつくり方

心と魂の癒しのために

祈りの仕方

祈り方を教えてください

…という問いをよくいただきます。

 

「祈り方に正しさや間違いはありませんので自分なりの祈り方でよいですよ」とみなさんにお伝えしておりますが、

それでも何か…と仰る方も多いので、

お伝えしていることを、こちらにも記しておきますね。

 

 

お神社にお参りに伺うと、

すごく真剣に言葉を並べてお祈りされている方を見かけます。

 

その横に、後から、サッとやって来て、

パンパンと柏手を打ち、サッと手を合わせ、サッと帰って行かれるご近所にお住まいらしきおじいさま。

 

 

お二方のどちらの祈りが神さまに届いたか…というと、後からいらしたおじいさまの方だったりするのです。

 

 

後方からみていると、言葉にして伝えなければと一所懸命になり過ぎて、気が散漫になり、祈りの波動が真っ直ぐにのびずに、あちこちに散らばっているように見えました。

 

おじいさまの祈りは、シンプルで真っ直ぐ天に向かってのびており、上方から降りてきた美しい光と一つとなり、天に繋がっていく様が見えました。

 

 

 

言葉にすることは悪いと言っているわけではありませんよ。

祈りや願いを、すべて言葉にして伝えきらなければという思いが強くなりすぎると、本来、伝えたい思いが真っ直ぐにあらわれてこないのでしょう。

 

ならば、先に文章にして書いたものを伝えよう…とすれば、それはまるで、政治家の答弁のように、心の入っていないものになる可能性があります。

 

神さまが降りていらっしゃるのは、一瞬です。あっという間に降りていらして、あっという間に上がっていらっしゃいます。

そこに祈り持つ者が、まっすぐに心を向けられたなら、一瞬にして受けとりにいらしてくださるのです。

 

本来、祈りとは、「意乗り」といって、神さまの意志に乗り、光と一つとなることを指します。

ですので、祈りとは、自分の欲に絡んだ願いではありません。

 

 

神さまに祈る

仏さまに祈る

ことは、自分の願いを叶えてもらうためのものではないのですね。

 

 

ですので、神さま方から祈ってくださいと言われた時には、

こちらは心の雑念を無にして、

自分自身の心の奥に宿る光を感じ、

天上界等に存在する自らの魂の本体の光を感じ、

神さまに委ねる祈りをするのです。

 

人間としての私がどんなに足りない存在であったとしても、祈る心は真実です。

その真実に、心身を任せて、神さまの祈りと一つになっていく。

 

難しい〜とおもわれたかな?

簡単に言えば、自分自身が光を纏って、手を合わせればいいということ。

 

その時、眉間に皺が寄るのでなく、

口角が自然に上がっているようであるといいですね。

 

 

要らぬ力を抜いて

ただただシンプルに

感謝の心で手を合わせてください。

 

神さまとは、感謝の心をでしか繋がることは難しいですから。

 

 

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