しあわせこころのつくり方

心と魂の癒しのために

わかりあうために

自分の心のすべてを、

文字や言葉に表すなんて、

まったくもって無理な話。

 

だって、自分自身のことさえ、

すべてを理解しているわけではないのだもの…

 

どんなに分かり合っているように思えていても、

相手のことをすべて理解するなんて無理なこと。

 

わかっているつもりほど、曖昧で、危険なことはないかもしれない…

私はそう思っているのて、常に、人の心はわからないもの…と、受けとめるようにしています。

 

たとえ、心の動きや行動が観えたとしても、

それは一部でしかなく、その一部で、その人の人格すべてを確定してしまうことはしてはならないことでしょう。

 

とかく、霊能力者といわれる類の人は、

相手が望んでもいないのに、勝手に人の心を読んだり、可視化できぬものをみてしまうことが多いようです。

 

みようと思っていなくてもみえてしまうケースは多いと思うけれど、それを得意げに伝えたりすることは、品位のない行動と、心しておかねばなりません。

だって、人の心や行動を盗み見てるようなものですよ?それが、どれほど失礼極まりないか…考えたらわかりますよね。

 

 

それにしても、この世の物質として目に見えないものをみてとれるということは、果たして、そんなに大切で、すごいことなのでしょうか…?

 

自分自身の目が見たもの、感じたもの、それこそが大事なのであって、

他の人がどう思うか、感じているのかなんて、

気にする必要なんかないと、私は思います。

 

 

私にとっては、私の見たもの、感じたこと、経験したことがすべて。

貴方にとっては、貴方の見たもの、感じたもの、経験してきたことがすべて。

 

違うから面白い、違うからこそ、もっともっと知りたい、教えてほしいって思う。

 

そうやって、お互いを理解しようとする思いや行為によって、本物の繋がりが築かれていくのではないかしら…

 

誤解が生まれたら、謝ればいい。

勘違いしたなら、勘違いだったと伝えればいい。

貴方を貶めたいわけじゃないことを、

ちゃんと伝えたなら、そこには、本当の理解が生まれます。

 

分かった気になったらだめ。

なんでもわかった気になったら、

後で必ず自分が後悔するのです。

 

 

正しく伝え合い、正しく受けとめ合う。

それを対話というのでしょう。

 

「対話」いう言葉が独り歩きしていて、

「対話」という言葉が嫌いだ!という人に、何人か出会ってきました。

「対話」という単語になってしまっているから、

その本質が伝わらなくなってしまったのかな。

 

でもね、正しい伝え方、正しい聴き方を学んだ方が、痛みの少ない社会になるはずです。

 

 

その人を信じて、

その人の中にも美しい光の御魂が宿っていることを信じて、伝え合う…

 

もし、それでも相手が受けとめてくれなければ、

そっか、この人はまだ知らないだけなんだな…と、相手をジャッジせず、下にも置かず、

いつか、真の対話ができるようになったらいいな…と、祈り心で、自分自身を調えてください。

 

そうすると、感情に引っ張られて、悶々したり、イライラすることが減ってきますよ。

 

 

さて、今日も一日の時間をいただいている私達です。

しあわせを感じるのは、自分自身の心の向け方次第🍀

 

美しい光のネットワークを構築するために

自らの光を信じ、みんなの光も信じる…

そこからはじめていきましょう✨

 

 

 

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