自分にとっての正しさが、
他の人にとっての正しさであるとは限りません。
自分にとって、
正しいと思える行為も、
他の人からすれば、批判や非難を受ける行為かもしれません。
正しさを主張して、他者を従わせることは決してあってはならないこと。
誰かをコントロールすることや支配することは、魂としては一番望まぬ行為です。
どんなに素晴らしい意見であっても、
それが、たとえ正義と言われるものであったとしても、
人を支配し強要すれば、その時点で、
その正義は自我(エゴ)に変わっているからです。
魂にとって、自我(エゴ)は、魂自らの学びや成長を妨げる天敵ともいえるもの。
自らの正しさに酔いしれていくと、
人はエゴという暗闇の落とし穴にはまっていきます。
自分を信じることは大切なことですが、過信をすると、道を間違えるのです。
本人は道を間違えたことすら気付かずに歩き続け、何かが違うように感じた時には、もう戻る道すらわからなくなっているのです。
自分の中の正しさにこだわるあまり、
他者との軋轢を生み、そこに争いの火種が生まれては、本末転倒ですよね。
たとえそこに善なる大儀があったとしても、大義を振りかざして、自らの正しさを貫き、それにより誰かを傷つけることが派生するなら、それはもう正義とは言えないでしょう。
どんな正義も、大義も、
『我』に変われば『闇』へと転化するのです。
AさんとBさんの間に何らかの問題が起こった場合、
AさんにはAさんなりの正しさと真実があり、
BさんにはBさんの正しさと真実があります。
どちらかが嘘をついているわけではなく、見ている側が違えば、見え方が違いますので、それぞれの言い分が出現するのです。
ここで必要なのは、
それぞれが自己主張をして自らの正しさについて言及するのでなく、
相手が何を思い、何を伝えたいのか、
その話の背景までも含めて、話を丁寧に聞くことです。
相手の立場に立って物事を考える力こそ、起こっている問題についての正しい道を見つけ出す導きになるはずです。
自分の正しさにこだわることは、
正義を貫く美しさとはかけ離れたるもの。
真の正しさは、
こだわりや執着から離れたところに、
宿っているものなのです。