「エゴと自分だけが信じる方法、その違いが難しいのですが、どう考えたらよいですか?」とご質問をいただき、お答えした時のお話です。
エゴは、いつかどこかで、誰かを苦しめます。
いずれは、自分自身も苦しみにはまってしまいます。
なにを信じてもかまわないけれど、
自分が信じているものを強要するものでもないし、それを広めなければならないというものでもありません。
どんなに素晴らしい教えであっても、
誰かに押しつけているならば、
それはすでにエゴの塊になっています。
信じていることによって、自分自身が調和された状態になっているかどうか、それが大事なのです。
ちなみに、調和とは、和らぎの心で自身が調っているという状態のことをいうのですが、
そういう自分であれば、誰かを責めることもなければ、自分の考えを押し付けるようなことにもならないですよね。
すべての人に、それまでの人生があり、
それぞれの想いがあり、
やり方があり、価値観があります。
どんなに素晴らしいことでも、
これだけが正しいなんてことは決してありません。
だから、私が伝えていることに、
NOという人がいたとしても、
それはそれで良いのです。
(今のところ、そういうご連絡はありませんので、ご安心なさってくださいね。こちらをご覧くださっている方は、お優しい方が多いので、アンチから攻撃されたりしていないか…と、ご心配くださることが多いのです。感謝しております🙏)
たとえ神様からの御神託であっても、
納得がいかなければ、それに従うことは、
善しではありません。
こだわりを外し、
真の赦しの中にあってこそ、
本当の光が放ち始めます。
高次の神仏は闘いを好みません。
みな、赦しの中にあることを忘れずに、
この生を生き抜いていきたいものです。