しあわせこころのつくり方

心と魂の癒しのために

自らの歪みの中にこそ

妬みや嫉みは

心に大きな歪みを生み
大きなマイナスの渦を

自身の周りにはびこらせ
自身と他を分け隔て 

いずれ自分の周りに

狭く高い壁を作ります。

 

その高く狭い壁の中 

自身を置き続けていくうちに
いつしか虚無の暗闇 

無関心のエゴの世界へ引き込まれ
ひたすらにその道を

歩み続けることとなるのです。


誰との比較がそんなにも

大事なものになるのでしょう?


誰に認めてもらえれば

歪んだ心はまっすぐになるのでしょう?

 

自分の父親?母親?友人?彼、彼女?
もしくは、夫や妻・・・こども達?

 

大事な人達から認めてもらえることで、
たしかに心は安定し優しさも生まれてくるかもしれません。


けれど、大人にもなれば、身近な人達から褒めてもらえることもなくなります。


ましてや社会に出れば、自分の思っている通りに事が運ぶわけもなく、
上司には怒鳴られ、同僚からの嫌味を言われることもあるでしょう。

 

誰もが夢見る世界があり、

理想とする世界があります。
それは、さほど大きく差があるわけではないかもしれません。


世の中が平和になるように・・・
幸せになるように・・・
健康でいられるように・・・

それなのに、

この世は決して平和になりません。

愛が溢れる調和の世界にもなりません。


なぜでしょう・・・?


それは、先に述べた、必要のない比較にひとつの原因があるからではないでしょうか。


比較する心は、嫉妬を生みだします。
自分は認められていないのではという

勝手な思い込みにより、相手を憎み、

許せなくなる。

あんな人いなくなればいい!という

自分勝手な思いは、こどもの頃にはありがちな感情です。


上手にその感情から抜けられる人は、
自分の個性を認めることができる人です。


人間はそもそも誰もが足りないところからの出発なのですから、
誰かと比べて優れているとか、劣っているとかを判断する必要などありません。


自分の足りなさを知り、間違ってしまったならばそれを認め、
過去を赦し、その自分からまた一歩を踏み出すこと。

 

それができない限り、出来事はひとつも動き出すことはなく、
延々と悪縁のカルマの環を歩み続けることとなってしまいます。


自らが歪みの中にあることを知った時
それは大きなチャンスです。

その歪みから抜けることが出来るからです。


歪みを知ったなら、ただ、光の世界の神仏とひとつになるよう心を合わせてみてください。

 

その歪みが神々を穢してしまうと考えるよりも、
大いなる光に委ね、自身の中にも光を流し入れるのです。

 

すでに、神仏はわたし達人間を赦しています。


光の世界へ向かって学び続けていくために、今、この瞬間も手を差し伸べ、慈悲と愛のまなざしで導き守ってくださっているのです。


わたし達が歩むのは、菩薩道。
和らぎの珠育み、いつか誰かのために役立てる者となるために、修行を積んでいる途中の魂たちです。

 

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