その人の生き方は、その人の逝く姿に顕われている。
人にはそれぞれの役割があり、その役割を受け容れて生ききった人生が、どれほどに豊かで誇りあるものかを深く感じた出来事がありました。
私事ですが、先日1/30母が他界し、
2/1に見送りをいたしました。
母は、38年前、19歳年の離れた最愛の夫を亡くし、以降、姉家族とともに暮らしてきました。多忙な姉の代わりに、家事をこなし、4人の孫の世話をし、家族のために一生を捧げた人でした。
私の実家は、私が子どもの頃から大勢のお客様が出入りする家で、私や姉、継兄の友人たちは、わたし達本人がいなくても、わが家にて、母と仲良く語り合っているのです。私の夫も、母と夜中まで仲良く語らい、時に二人で食事をしに行ったりもしていました。
父と結婚する前は、社交的だったと話していた母は、実は、絶世の美女。昭和の大スター女優になっていてもおかしくないくらいの美人だったのです。
けれど、父の希望通り仕事にも出ず、ひたすらに家を護る人になっていくのです。
ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが(姉の著書にも書かれていたので)
私の母は、父にとって3度目の奥さんで、私たちには、母の違う姉兄が4人います。母にとって、夫よりも義理の娘となった長女の方が歳が近いのです。
旧華族の家柄なので、いろんなしきたりもあったでしょう。
大きな手術を何度もしている父を支え続け、ようやく落ち着いた頃には、継兄がとんでもなく面倒なことを起こし、気苦労も多かったことと思います。
実の娘二人は、二度の離婚を経験し、きっととっても心配していたはずですが、何か問題が起こった時、母はかならず「大丈夫よ~。なるようになるから。今までだってなんとかなってきたでしょ。」と言葉をかけてくれる懐の大きな人でした。
自分のことよりも、家族のために生きた母は、在宅での緩和ケア医療を望み、みんなに看取られて最期の時を迎えました。
(がん患者の在宅ターミナルケアの大変さを知りました。家族全員の団結力…特に、姉と、医師である姉の長男と、仕事を辞めることになってまで祖母に付き添ってくれていた姉の次女…、仲間たち、そして、関わってくださった訪問医療看護のお医者さん、看護師さんのおかげで、家での看取りを完遂することができました。)
母の最後のお役目は、大手術を受けた義兄の見守りだったようです。
無事、手術に成功した義兄から電話があったのですが、術後、麻酔が効いた中でうつらうつらしている時、母がずっと左手を握っていてくれていた…と。
その日から4日後、母は旅立っていきました。
愛と慈しみを与え続けた母でした。
愛のバトンは、育てた孫の世代にすでに受け継がれています。
ふっくらしていた顔が痩せて、若い頃のような姿に戻った母は、それはそれは美しく、父が生きていた頃に着ていたワンピースを着用して出かけました。
母は今、38年ぶりに再会した父と仲良く手を繋いで、あちらこちらと旅を楽しんでいることと思います。
(写真は母が亡くなった日に、姉の四男がおばあちゃんへと買ってきてくれたお花です。お誕生日、敬老の日はもちろん、母の日にもお花をプレゼントしていたのだそうです。カッコいい男に育ちました。)
ブログへのコメントやメールへの返信が滞っておりましたこと、お詫び申し上げます。
これから少しずつ、お返事書かせていただきますね。
ありがとうございました。