記憶の中で覚えているデジャヴの初体験は、
3歳か4歳の頃。
当時暮らしていた家は、小田急線の祖師ヶ谷大蔵という駅から5分くらいのところだった。
まだ空き地や原っぱがいっぱいあった時代だ。
わが家の家の裏にも、広い原っぱがあって、
私はよくその原っぱで、一人遊びをしていた。
ある日、なんということもないいつもの風景に、
たぶんヤツデと思われる葉っぱを見ている親子を目にした。
そこには、お母さんと3歳くらいの男の子。
そのお母さんは、慈愛という言葉がぴったりの優しいまなざしで、その男の子のことを見つめて、何かを話していた。
その情景を目にした瞬間、
「これ知ってる」…そうと思うと同時に、
なんとも言えない、えずくような、吐き気のようなものに襲われた。
これが初めてデジャヴを体験した時だったと思う。
それ以降、デジャヴが訪れるたび、
わけのわからない吐き気に襲われた。
気持ち悪い…と思うのは、一瞬のことなので、
そんなに辛いことではないが、
これは一体なんなんだろう?と、思っていた。
デジャヴは、今でもよく起こるが、
いつからかその気持ち悪さのようなものは、
ほとんど訪れなくなってきている。
子どもの頃のデジャヴは、短い一瞬のものだったが、大人になってからのデジャヴは、ちょっと長い時間のものもある。
「あ〜、これ知ってる」という情景。
夢でみたものと同じことが起こるということは、
あれは予知夢だったのかな?
そんなことを思うようになった20代の頃。
その後、予知夢というのか霊夢というのかを
バンバン見るようになった。
地震の夢や津波の夢、洪水の起こる夢…
東日本大震災前が起こる数年前からは、
ずっと地震と津波の夢を見させられていた。
これが起こるのか…
どうにかしてこれを止めなきゃ…
そんな思いに駆られていた。
その頃は、どこそこへ行って祈りなさいというメッセージも多く、全国津々浦々、教えてもらったところへと神事の旅をしていた。
実際、残念ながら、地震は起きてしまったが、
私が見ていた夢では、現実の10倍の被害があり、 10倍の人が亡くなっていた。
決して、良かったとは思っていない。
止めたかった…と、申し訳ない…と、心から思った。
東日本大震災以降、見続けていた夢はパタッと止んだ。
それ以降も、予知夢は見るし、デジャヴは起きている。
でも、ここではっきりと気付いたことがある。
未来は決して決まっているわけではないということ。
夢を記憶しているから、デジャヴが起きた時に、
この後は、あの人はこういうことを言ったとか、この人はこういう態度をとったとか、
こういうことが起きた…ということがわかっている。
けれど、まったく同じことが起こるわけではないこともあるのだ。
初めてそういう経験をした時、
あれ?と思った。
それで、実験することにしたのだ。
デジャヴが起きた時、意識をそのままにスルーしていると、夢と同じことが起きる。
けれど、デジャヴが起きたとき、あえて強く意識をその事態に向けて、この先、夢ではこうなったよね…と思うと、それは起こらず、別の会話になっていくのだ。
これは一体どういうことなのだろう…
もしかしたら、人の意識が強く働くことで、
物事の流れは変わっていくのではないか…
そう思った。
そういえば、未来は決まっていないと、
時を司ることに携わる神さまが仰っていたことがある。
ある程度の流れはあるが、決して、それがすべてではないと。
祈りがそこに加わると、出来事は佳き方へ大きく変わることがある。
それは、魂の記憶ではなく、人として、実体験として確信していること。
…とするとね、
これからの未来も、決して決まっているわけではないはずなの。
世界情勢は揺れている。
ロシアとウクライナの戦争は先が見えない。
岸田首相がウクライナを訪問したことで、
日本はロシアから敵国として見られることになったという報道するある。
北朝鮮や中国の動勢も気になるところである。
人々の心に、不安や恐怖の種が生まれても仕方ない状況ではあるかもしれない。
でもね、まだ、日本は戦争はしていない。
国民の知らぬ間に、法案が通り、成立してしまう今の日本に、NOと言えるのは国民である私たち一人一人でしかない。
不安に呑まれないで、恐怖に怯えないで、
私たちは、この世界から戦争がなくなるように、
日本が戦争に巻き込まれたり、戦後に加担する国にならないように祈っていこう。
そうして、はっきりと、ダメなものはダメと、
イヤなものはイヤと言える国民になっていこう。
未来は、平和を愛する私たちが作る🍀
次代を生きる子ども達、若者達が、
思いきり笑い合い、心から生まれてきてよかった❣️と思える世界を、私たち大人が作っていこう。
美しい未来へと
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