呪いの言葉
…と聞くと、とても恐ろしい呪文が浮かんでくるかもしれません。
けれど、実は、身近に溢れてる言葉や
ずっと使ってきた言葉が、
自分自身や周りの誰かへの、
呪いの言葉になっていることがあるのです。
そもそも呪いの言葉って…何なんでしょう?
私がたどり着いた結論…
呪いとは、自分自身をがんじがらめにしてしまうもの。
意図せず自身の思考をストップさせてしまうもの。
自分に沁みついてしまった迷信めいたものと言えるかもしれません。
たとえば、こどもの頃、母親からいつも
「お前はバカだねぇ」と言われてきていたとします。
反抗心の強いお子さんならともかく、大概の場合、その言葉をまっすぐに受けとめてしまい、大人になってから「私はバカだから…」と、自己肯定感の低い人になっていることがよくあるのです。
お母さんは、決して本気で馬鹿だと思っていたわけでなく、その言葉の奥に深い愛情があったかもしれません。けれど、言われ続けてきた側はその真意を知る由もないので、言葉を額面通りに受けとめてしまい、私はバカな人間と認知してしまうことが起こってしまうのです。
それと同じように、自分に向けて発するネガティブな言葉も、自分自身を縛る呪いになってしまうことが起こります。
また、他者に向けて放った呪いが跳ね返ってくることも、実はよくあることです。
これは不思議な現象ですが、
嫌いな人、許せない相手に呪いをかけ、その呪いが成就した後、しばらく経った頃に、自分自身が酷い目に遭ってしまったということがよくあるのです。
先日、とある脳科学者の方が「脳は、誰に向けて言葉を発しているのか識別できないところがある」と話していたのを聞いたのですが、他人に対して放ったはずのネガティブな言葉(呪い)が自分自身に返ってきてしまったということなのかもしれません。
脳の認知機能の問題なのか
はたまた目に見えないモノの力なのか
どちらともなのか…
答えは一つではなさそうですが、
少なくとも、言葉(言の葉)には言霊が宿っているのは本当で、
一つ一つの言葉には、たしかにエネルギーの動き(波動)があります。
とても大きなエネルギーのある言葉もあれば
そうでないものもありますが、
言葉を発する人の想いや思念、エネルギーは言葉に乗り、強く鋭い武器にもなることがあります。
慈しみのある温かな言葉には、
時に、ちっちゃな精霊のような存在が乗っかっているのが観えることもあります。
使う言葉で人生は作られていく
優しい気持ちで言葉を放つこと
相手を慈しむ心で言葉を発すること
その意識があるだけで
言葉はやわらかな波動を纏います
知らぬ間に縛り縛られていた呪いから
解放されて 誰もが心穏やかに
安らぎを感じられる人生を歩めたらいい
次の世代に生きる誰もが
笑って生きていられように
今を生きる自分から始めていきたいものです🍀