自分を信じきっていないのに、
自分の源をわかってもいないのに、
いい加減なスピリチュアルを広めている人たちのなんと多いことだろう。
そこに纏わる問題の責任は、
一体、誰が取るのだろう。
安易だな。
そのスピ人に憑いてるモノがなんであるかもわからずに、巻き込まれていく人の多さに、
もうため息しか出ない。
光は自分の中にあるよ。
光はこの世界のあちこちにあるよ。
人が教えるものじゃないんだよ。
↑ なんてものをSNSで呟いてみました。
お金を稼ぐことは悪いわけではないけれど、
目に見えない世界のことを、
ちゃんと理解もしていない人が、
お金儲けや、自分の名を挙げるために使うのは、絶対やめた方がいい。
スピリチュアル分野は、目に見えないから、
誰も判断のつけようがないから。
社会的に受け入れられないのは、仕方ないことだ。
さらに社会からはじかれてしまうことに拍車をかけるのが、お金儲けのためや自分の名声のためにスピリチュアルを扱う人たちの存在だと、私は思っている。
私は、今のスピリチュアル産業は、コンプレックス産業だと感じている。
スピリチュアルを扱っている人の根底に、強いコンプレックスがあり、さらに、そこに集まってくる人たちにも、強いコンプレックスがあるからだ。
それに、本当にはわかっていない人が扱っているから、詐欺まがいのことが多すぎる。
自分に依存させて、洗脳をさせていくスピ系人の多いことと言ったら、私の元に相談にいらした人の数だけ数えても、とんでもない数字になる。
操られたしまった人たちが、どれほどの恐怖や不安を抱き、人生を台無しにしてきたか…
そこに思いを寄せることすらしないのだろう。
スピリチュアルケアという言葉を検索してみていただきたい。
Wikipediaには、以下のような文章がある。
スピリチュアルケア(spiritual care)とは、「生きがいを持ちやすい人生観」への転換を推奨し、人生のあらゆる事象に価値を見出すよう導くことにより、人間のスピリチュアルな要素(心あるいは魂)の健全性を守ること[1]である。
ウァルデマール・キッペス(Waldemar Kippes)は、「スピリチュアルケアとは現代人のスピリチュアルな生活のバイタリティーおよびその深さを育成する援助であり、他者や神や自分自身の内面的なニーズに応対する、人間としての成長を示し、育成するものである」と述べている[
「スピリチュアル」とは、人間として生きることに関連した経験的一側面であり、身体感覚的な現象を超越して得た体験を表す言葉である。多くの人々にとって、「生きていること」が持つスピリチュアルな側面には宗教的な因子が含まれているが、「スピリチュアル」は「宗教的」とは同じ意味ではない。
スピリチュアルな因子は、身体的、心理的、社会的因子を包含した、人間の「生」の全体像を構成する一因子とみることができ、生きている意味や目的についての関心や懸念と関わっている場合が多い。(WHO「ガンの緩和ケアに関する専門委員会報告」1983年)
本来、スピリチュアルとは上記のような意味合いで使われるものだと、私は考えている。
その中に於いて、たしかに目に見えない世界からのアプローチがあることを、私自身が体験したことにより、
このような世界(地球)に生きる存在である「人」として、どのように生き、どのように死ねば、より楽に生きられるのかを提言しているのが、このブログだと思っている。
カウンセラーとして、ひたすらに死ぬことが恐怖な人に、たくさん出会ってきたこともあり、
「死」を恐れ、「今を生きる」ことを大事にできない状況に陥らないように…そんな思いもあって、「生きることと死ぬこと」をテーマにした
お話会や講演会も開催してきた。
それにはやはり、スピリチュアルな観点からの話は、どうしても必要になる。
人は、生まれたからには死ななければならない。
死別を経験した人は、遺された者の悲しみが、
どれだけ深いかを知っているだろう。
たぶん、このブログを訪れてくださっている人のほとんどは、その悲しみを知っているはず。
時間薬が効いてきたとしても、心にぽっかりとあいた穴は、やはりどこかに開いていて、
とりあえず、蓋をしているだけ…でしかないことに気付いてしまうことも多いだろうから。
それでも、人は死ぬんだ。
だからこそ、生きているこの時間が、
何よりも貴重で、大切な一瞬一瞬なのだ。
何もわかってもいないスピリチュアルを扱う人々によって奪われた貴重な人生の時間。
一体、どうやって償えるというのだろうか…
わかっていたとしてさえ、問題が起こることの多い分野だと、私は常々思っている。
目に見えないことを扱うからこそ慎重であるべきだと思う。
時には、他者の人生を狂わすことすらあるものである認識をもって、関わってほしいと、心から思う。
これを読んでくださった貴方が、もし目に見えない世界を扱う方であるならば、
どうか安易な気持ちで、この分野に手を出すことをせず、やるならば、きっちりと学びを深め、
日々を行として生きる覚悟をもって関わってほしいと願います。
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#真実を知ろう
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