しあわせこころのつくり方

心と魂の癒しのために

気付けばすぐにリセット&リスタート

時に、自分が書き記していた言葉に、
励まされたり、改めての気付きを得ることがあります。
 
昔から、日記を書くことがよしとされているのは、
自分自身を振り返り、初心に戻ったり、成長を見つめることが出来るから
ということもあるのかもしれません。
 
 
ここ十数年、日記というものを書くことがなくなっているものの、
FacebookやInstagram、また、ブログに書いていた記事に、はっと思うことがあります。
特に、Facebookには思い出機能があり、〇年前の今日の投稿が、自分のスレッドにあがってくるで、そういえばこんなことがあったんだと、振り返るきっかけになります。
今朝も、そんなことがありました。
 
これは5年前 2018年6月12日に、Facebookに書いたものです。
 
大好きだった伯父が、今日6月11日、天へ還り、星になった。
真理について、神仏について、生涯に渡り深い学びを続けていた伯父。
私に真理を初めて説いてくれたのは、伯父だった。
 いつもわたし達に優しいまなざしで語りかけてくれた。
「友理ちゃん、神さまはね、本当にいるんだよ。
神さまは、ここ、ここにいるんだ。」と、胸に手をあてて、満面の笑みで教えてくれた。
「あなたの心の中に観音さまがいるんだよ。目をつぶって胸に手をあててごらん。
音が聞こえるだろう。心臓の鼓動の音。目に見えてないけど、ここにずっと音を鳴らし続けてくれている。あなたを生かし続けてくれているこの音が観音なんだよ。」と、話して聞かせてくれた。
母の実家へ行くたびに、小さいけれど深く響く優しい声で、目をキラキラ輝かせながら語って聞かせてくれた伯父。
近頃は会いに行きたいと思いながらも、遠距離に、足を運ぶ機会を逸していた。
最後に会ったのは、3~4年前くらいだろうか。
今の夫を連れて、挨拶に行った時、伯父がとても喜んで、夫と握手を交わした瞬間が印象的だった。
何を言ったのか聞こえなかったけれど、
伯父の喜びに満ちた顔が忘れられない。
一人、また一人と、この世から大切な人が旅立っていく。
限られた時間をしか生きられない存在であることは、十分わかっている。
それでも別れは悲しくて、思い出が溢れるたびに、涙もともに溢れだす。
私に残された人生の時間はどれだけあるのかわからないけれど、
限られた時間だからこそ、大事な人を大事にしたい。
大好きな人に大好きと伝えたい。
シンプルでいい。
生きることに感謝だけあれば、人は幸せであれるのだから。
ありがとう
おじちゃん。
心にいただいた宝物を、一生大切にして生きていきます。
 
 
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『生きることに感謝だけあれば 人は幸せでいられる』
 
足りないことばかりを追い続けていると、
人は大切なことを見失うのだと、このところ、強く感じることがあります。
足りなさに意識が向いていると、感謝の心がいつのまにか、どこかへいっちゃうの。
 
もうすでに、いっぱい手にしていることに気付かずに、
その手の中にあるものを忘れてしまうんだよね。
「青い鳥」という物語のように。
 
外へ、外へと探し続けて、求め続けているうちに、
いろんなところで迷子になっちゃう。
迷子になった先での経験もまた、大切な学びだけど、
戻って来られなくなる前に、感謝の心に戻ってこようね。
そう、この自分に戻ってくると、わたしが私らしくいられる。
この私から、常にスタートしていくんだよ。
 
 
 
『この自分』=『心地よいと感じる自分』=〇〇〇〇〇〇・・・・
〇の中に、自分の状態を思い描き、自分の言葉でメモに残してみてくださいね。
どんな状態の自分だと、自分を好きでいられるのか、それを思い描いて…
 
 
 
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