魔
麻の文字の下に鬼と書くのには、
どのような意味があるのか…
本来、日本では、麻は神聖な植物であり、
神道では麻は必需品である。
漢字を用いた中国では、元々はインドの宗教であった仏教に対して、教えが伝来した当初、
あまりよいイメージがなかったらしい。
鬼とは、人に非ずという意味があり、
特別な力を持つ者という意味合いが含まれる。
そもそも、魔とは、一体どのようなもののことを指すのか。
たとえば、意味を調べてみると、下記のようなって言葉が連なっている。
人を迷わすもの。
修行をさまたげ、善事を害する悪神。人間わざでない、不思議な力をもち、悪をなすもの。
では、なぜ、人を迷わせることをするのか?
修行を妨げ、善行を行わせないようにするのは、なぜなのか?
邪魔をするという言葉は、邪なる魔と書くが、そもそもは仏教用語であり、仏法をさまたげ、修行をさまたげる魔を、正しくないという意味を込めて「邪魔」と呼んだのだという。
これが不思議なもので、大切な御神事を控えている時に、なぜか、御神事を行っているメンバーの誰かが、おかしくなることがある。
簡単に言えば、落ちるのだ。
これが結構、面倒なことになる。
魔が憑いている状態になっていることが多いからだ。
魔がさすという言葉があるが、
これは、ふと悪い心を起こすというものであって、実際に、魔か憑いているわけではない。
メンタルが落ちているだけで、魔が憑いている…というわけでもない。
ただ、この場合(御神事前の…)、案外、魔が憑いていることが多いので困る。。。
さすがに、長い年月を共に行ってきているのだから、わかるだろうと思うものの、そういう人ほど落ちる。
もともと、魔が憑きやすい人と、そうでない人とがいるもので、マイナス思考の性質があり、負の意識の中でぐるぐる考えを巡らせてしまう人は、魔を引き寄せやすい。
心の闇に嵌り、自分自身を貶めていくことで、魔を引き寄せてしまうのだ。
魔がさすことは、誰にでも起こりやすいし、魔が憑くことも、まぁ、ないわけではないので、さほど恐がらなくてよい。
なんか変だ…と思ったら、しっかりと自らを見つめ、本当の私はこんな自分でいたかったっけ?これは、自分の心の癖だ。心の闇だ。だったら、しっかりと癖を知って、見つめて、要らない感情は手放す。そう決めて、向き合ってくれさえすればよい。
魔は、魔が憑いていることを認識されると、これはヤバイと逃げていくことの方が多い。
問題は、自らに魔を引き入れてしまうこと。
魔を入れてしまった人は、自分の中にそのようなものがあることを見ることが難しくなる。
恐怖や不安が強くなり、いつも緊張し、なんなら神仏、光が怖くなる。
光のエネルギーが強い人のことも恐怖に感じる。
魔そのものが光を嫌がるからだ。
一度、自らの中に魔を入れた人は、
魔が離れた後も、マイナス思考に嵌ると、すぐに魔がやって来るようになってしまう。
そうして、いつまでもその思考の中でぐるぐるしていると、魔が憑いてまわる。
その人のマイナス思考をよく理解しているから、隙を狙っている。
マイナス思考の人の心のエネルギーは、よっぽど住み心地がよいのだろう。そうして、その人の精神エネルギーを吸い取り、自らの栄誉にして、大きく育ち、その人が必要なくなると離れていく。
大概、魔が自ら離れていった時には、その人のエネルギーは無くなっていて、生きることそのものが難しくなっている。
魔を引き入れた人がいると、厄介なことに、周りにいる人たちにも影響が出てしまう。
仲間内であるならば、輪が壊れる。
家族の輪、職場の輪…いろんな輪があるが、その人の存在によって、繋がりを壊され、人間関係の破綻が生まれてしまう。
なんか変だ…
そう感じたら、冷静にとことん見つめるしかない。何が原因なのか、何がきっかけになっているのか、その人の心の奥まで見つめる。ジャッジするのでなく、ただ見つめて、正しく判断する。洞察力と俯瞰力が必要である。
こちらが、その原因や問題をはっきりと認識すると、相手の状態が変わることがある。
それで、元の良い状態に変わっているならそれで良いが、変わっていなければ、その時は距離を置くこと。
「あなたに魔が憑いているよ」と言い合える関係ならよいが、そんなこと、なかなか言えるわけもないだろうから…
たぶん、どこにでもある話。
追伸
なんか変だ…と自分で気付いたなら、
信頼する人に話すことが一番大事です。