「神様」と目にした時
あなたが思い浮かべるのは、
どのような神様でしょう?
日本人のみなさんに聞くと、
かなり様々に違いがあるようです。
一方、一神教の国の方々では、
その姿にあまり差異がないとのこと。
描かれている神様像がどれも同じようなので、
イメージが統一しやすいのでしょう。
そもそも、日本には八百万の神がいるとされていますので、同じ神を思い描くのは難しいのでしょうね。
さて、先日、日本の神代と古代史研究会の主催で、お話会を開催いたしました。
その時、そもそも神はどうして生まれたのかを聞かれました。
私は、最初に誕生した神のことはわからないと答えました。
神話上の話なら、いくらでも知っています。
でもそれは知識として知っているというだけで、真実かどうかはわからないということです。
わからない理由はシンプルで、最初の神が生まれた時に、私は誕生していないからです。
聞き憶えのある話ならありますが、それも言い伝えであって、たぶんそうだろうとしかわかりません。
魂(珠)は向こうの世界に還ると、すべて一つに統合されるような話もありますが、私の記憶では、一つに統合されているものはありません。
統合というより、意識が繋がるという方がわかりやすいかと思います。
その意識の統一の中でわかっていることは、
最初の神がなんのために、どのように生まれたのかはわかりませんが、創始の神から受け継がれている光の源のエネルギーがあるということです。
それは、愛であり、慈しみであり、すべてを赦す光です。すべてを再生させる力があり、新たに生み出す力がある。その光の源に触れるものすべてが極みにまで清まり、輝き、調和され、健やかになるのです。
この光は、絶対的な赦しであり、何者にも侵されず、壊すことのできない光です。
まさに慈愛と慈悲の光。創始の神が生み出した揺らぎなき、尽きることのない光です。
創始の神は、その光の源を数えきれぬほどに分けた上で、自らの子となる神を生んだとされています。その神たちは、創始の神より、光の源のエネルギーを分けられ、それぞれに護る場(星)へと散り散りになりました。
すでに存在していた宇宙を護るため、
調和された宇宙を創り上がるためと聞いています。
魂(珠)は、その光を受け継いで護り続ける神から生まれた存在です。
神は、己のために立ち働くことはできません。
自分のためという思考を持たされていないからです。ただ、宇宙を護るため、生み出した子である魂のために働くのです。
魂(珠)は別。
神から、自分のため、他者のために、様々なことを学び、様々なことを経験するように生み育てられています。
自分のため…が、許されているのは魂(珠)だけなのですよ。
神という存在が、すべて魂(珠)生みができるかというと、そういうわけでもなさそうですが、
たいていの神は神を生み出すことも、魂(珠)を生み出すこともできるのです。もちろん、誓約があるため、それぞれに条件はあるでしょうけれど。
魂(珠)は、魂を生み出すことはできません。
魂(珠)は、すべて神という質を持つ存在が生み出すものとなっています。
神と魂は、単に役割が違うだけ…と書いたことがありますが、そのような意味合いです。
ということで、八百万の神のもとを辿れば、創始の神にいきつくということですが、私の聞いている話が真実ならば、すでに創始の神は幽宮におわすので、表にはいらっしゃらないということです。この世的にわかりやすく言うならば、創始の神は、すでにお隠れになって(お亡くなりなって)いるということでしょう。
創始の神がなぜ生まれたのか
どのようにして生まれたのか
それは誰にもわからないことだと、私は思っています。
なぜなら、その神自体が、自分がなぜ生まれたかをわかっていなかったから…ということが、私の知っている話です。
それでも、この宇宙にも、地球上にも、
あまねく神は存在しており、
魂(珠)をひたすらに愛で、その成長のすべてを、赦しの中で見守っているのはたしかです。
別ブログ『魂たちのものがたり』…が、今ストップしておりますが(仕事が忙しくて書く暇がないのです。お待ちくださっている皆さま、ごめんなさい🙇♀️)
これから先、綴られていく物語をご覧いただくと、神という存在がどれほどまでに、生み出した魂(珠)を愛されているかがわかると思いますので、引き続き、興味を抱いてお読みいただけましたら幸いです。