私が高校生の頃、もう50年以上も前の話です。
亡き父は、若い頃から渇望していた
古代史の研究に取り組む時間を持ち、
全国各地の遺跡やら研究会やらに、
嬉々として熱心に参加していました。
高校時代の私は音楽に傾倒していたので、
さほど古代史に興味はなかったのですが、
父に誘われて、古代史には切っても切れないご縁の土地である奈良県の明日香、桜井、天理…等々に連れて行かれました。
日本最古の神社といわれる大神神社や石上神宮、
葛城一言主神社……
今時でいうならば、超パワースポットといわれる
神社は、高校卒業までには、すべてを網羅したと言っても過言ではない程に伺っていました。
今は、ずいぶんとカジュアルにお詣りされていらっしゃる方が大勢いらっしゃいますが、
『とても力の強い神様だから、ご神意に適わなければ飛ばされてしまうよ』と言われていたので、
心を正し、ドキドキしながらお詣りしていたことを、今でも思い出します。
さて、そのお神社の中で、
私の甥がとてもお世話になった神様が石上神宮です。
とても賢い子で、お喋りを始めるのも早かったのですが、
彼が一歳になる前日、大好きなおじいちゃんが亡くなったことをきっかけに、失語症になってしまいました。
三歳になっても何も喋らない甥を心配し、
とある霊能者の先生に相談しましたら、
石上神宮に連れて行きなさいと教えられ、
その通りにご祈祷をお願いしたところ、
言葉を取り戻し、堰を切ったようにいろんな言葉を使って話し始めたということがありました。
その石上神宮に伝承されてきたのが、
十種祓詞の一節布留の言(ふるのこと)です。
『十種神宝(とくさのかんだから)』は
霊力の強い最大の言の葉と言われます。
「先代旧事本紀」によると
『ひと ふた み よ いつ む なな や ここの たり
ふるべ ゆらゆらと ふるべ』と唱えながら、
十種の神宝をゆっくりと振り動かしなさい。
そうすれば死んだ人さえ生き返ります…と書かれていて、現代まで伝承されてきたのです。
亡くなられた人をも甦らすほどの霊力を発揮する言霊…どれほどの力を秘めているのでしょうね。
この布留の言と十種神宝を用いて、神武天皇と皇后の長寿を祈ったことが、物部氏由来の石上の鎮魂法(たまふり)と言われ、宮中における鎮魂祭の起源と伝えられています。
*十種神宝(とくさのかんだから)…物部氏の祖神とされる饒速日命(にぎはやひのみこと)が、
天つ神の命を受けて大和に天降るとき授かったとされている十種類の宝のこと。
【十種神宝】
沖津鏡(おきつかがみ)
辺津鏡(へつかがみ)
八握剣(やつかのつるぎ)
生玉(いくたま)
死返玉(まかるかへしのたま)
足玉(たるたま)
道返玉(ちかへしのたま)
蛇比礼(おろちのひれ)
蜂比礼(はちのひれ)
品物之比礼(くさぐさのもののひれ)
*先代旧事本紀
全十巻からなり、神代から推古天皇までの歴史が記述されている史書。
著者不明であるが、「天孫本紀」に、尾張氏と物部氏の系譜を詳しく記述し、物部氏に関わる事柄を多く載せているところから、著者は物部氏に纏わる人物であるという説もある。
しかし、江戸時代に入り偽書ではないかという疑いがかけられるようになるが、序文を後世に書き足したものである疑いがあり、本文に問題があるとは思えないという見解に至っている。
本題に戻りますが…
布留の言
「ふるべ ゆらゆらと ふるべ」という言に、
音の揺らぎを感じられはしないでしょうか。
音の揺らぎ…音の波動と言ってもよいかもしれません。
この「ふるべ」の「ふる」は
「振る」という意味の言なのです。
魂を揺り動かして、自らの本来の力を発揮させ、活力を取り戻すことをするのです。
「振る」を広辞苑で調べてみると、
最初の項に「物をゆり動かして活力を呼び起こす呪術的行為」と書かれてあります。
日本語の「振る」という言葉には、
本来そういう意味があるのですね。
私が以前、役小角(役行者)として地上に降りられた紀の神様に教えていただいた魂振りの行も、
同じような意味合いがあります。
ちなみに、この魂振りの行は、
胸の前に手を合わせ、両手の中にまあるい光の玉を包んでいるようなイメージを持った状態で、
合わせた手を上下に振るというものです。
自身の魂のエネルギーが停滞している時、
何か別のものに覆われてしまっているような時、
魂振りをして、己の力を取り戻し、
要らぬものを祓うというものです。
簡単な憑きモノであれば、魂振りのセルフケアで
除霊できてしまいます。