香術という言葉を、どれほどの方がご存じでしょう。
私が香術に出逢ったのは、かれこれ20年以上前のことです。
若い頃より、お香に深い興味を抱き、香道の世界にも触れましたが求めているものには出逢えず、様々な文献や香の専門家のところを訪ねておりました。
東京吉祥寺にある香の専門店にて「香を知るには漢方を学ばなければいけない」と教えられたので、学んではみたもののなんだかしっくりとくることがありません。
そんな折、図書館で出逢った高齢の紳士から、とある方の存在を教えていただきました。「頑固で偏屈な方だから、会ってくれるかはわからないけれど、あなたが探しているものは、きっとこの方が知っているよ。」と。この出逢いが、私を香術の道へと導いてくださいました。『香術というものがどのようなものかを語って聞かせるので、しっかりと記憶しておくように』と、故宗芳師範が語ってくださった言葉が,以下に記載いたします一文です。
『あまねくすべての気を見極め、神仏の聲を聴き、木・火・土・金・水のすべての気脈を調えるためのすべての行を修め、大自然の気を観、正しく気の司ることの出来る者なり。この力、正しき道にのみ使わしめるものであり、自らの力に溺るるならば、たちまちにこの力すべて失いて、己の道の外れたるに気付かぬままにあり、自らの我にのまれ、光失うこととなりゆく・(中略)・この術はすべて口伝によりてのみ伝えられゆくものなりて・・・』 ~役行者・伝より~
少しわかりやすく説明させていただくと…
天然のお香には
穢れを祓い清める作用
自分の本質に立ち還る作用
大自然の大いなるエネルギーとつながる作用があり、
古の時代には「香」を用いて、自らを浄化し調える行がありました。
その「香」の本来的な作用を用いる技を【香術】というのです。
香術は、修験道の開祖・役小角(役行者)が用いていたとされ、口伝のみにて細々と継承されてきた術とされています。
天然香木の作用を知りその使い方を極め、さらには、気の質、気の色、気の流れを読み取り、自らの気と自然界のエネルギーを最大限に引き出し、さまざまな場面に於いて使いこなすことの出来る技を習得、伝授することが出来るようになった者を香術師と申します。
さて、これまた私事となりますが、
「香術」の師に出会った時、私は貧乏のどん底にいました。
お香には心身への深い作用があるはずと妙な確信をもっていただけに、その教えをもっていらっしゃる方が存在していることを知った時、とにかく一度でいいからその方にお会いしたくて、何度もお家を訪ねました。何度伺っても門前払い。それでも、十数回通った頃、師の方が根負けし、お家に招き入れてくださいました。
いろいろなお話をした後、「本気で学びたいなら通いなさい」とお許しを得たのですが、その頃は、その日の生活をするにも苦しいくらいお金がなかったので、学びたいけれど通うことは難しいです。今はお支払いできる経済的能力が備わっておりません。と正直に伝えました。
「強く学びたいと思っていたものに出会ったなら、それを簡単に手放すものではありません。あなたにとって、お香を深く知りたいと思っていた気持ちはそんな程度のものですか?」と返されました。
学びたい思い強くあることをお伝えしたところ、
「学びの門戸をくぐるなら、その覚悟を学ぶ姿勢で示しなさい。お金はあとでいい」とおっしゃっていただきました。
また「何度か通った後に料金が払えないからとお稽古を日延べしてしまうことは、せっかく身に付けた学びをリセットすることになる。そのことの方がよほど問題だ」との師のお言葉に甘えて、お稽古代は学びを修めた2年後に完済する運びとなりました。
このような経緯を辿り、私は香術師として立つことを許されました。
11月11日「大切な気付きはご縁の先に」というタイトルのブログにも書きましたが、
人生のどん底にいる時にこそ、実は、多くの教えとご縁という宝が散りばめられているのではないかと…私は感じています。
それを見つけ出せるかどうかは、自分自身の心の持ち方次第。
今、世の中は閉塞し、不安と恐怖の渦にのまれているように感じます。
不安感や恐怖感は、人の心に棘をさし、いつしか自らもトゲトゲを発するようになっていきます。誰かを攻撃していないと自分を保っていられない…そのようなことも起こるのです。
トゲトゲが刺さった人は、自分もまたトゲトゲになり、また別の人に棘をまいてしまう…そんな連鎖をどこかで止めなければなりません。
どん底に陥ってしまった世界のようにみえても、必ず、人の温かさというきらめく宝石は輝いています。
ご縁という宝物は決してなくなりはしません。
どうか、人の棘、世の中の棘、自分の中にある棘、そこにばかり意識を向けずにいてください。
自らの中の宝石を輝かせるために・・・
#香術 #お香 #ご縁