神事と政事“まつりごと“

ある神様から何度となく

『神事と政事の両輪を回さんといかん』

というお言葉を賜りました。

 

目に見えることと目に見えないこと

どちらかに偏ることなく中庸にあれ

ということです。

 

神事には

『神様と行う御神事」と
『神様に奉る御神事』というものがあります。

後者の『神様に奉る神事』

これが政事に繋がることなのではないか…

と思うに至っているこの頃です。

 

神様に奉るというと

雅楽のような歌や舞などと思ってしまいますが、

どうも神様方と交流をしていると、

別に人間の歌や舞を好んでいるわけでなく、

見たり聞いたりしたいわけでもないように思うのです。。。(←こちらの記載について、誤解を生じてしまいそうなので、次の記事『神様の望まれる交流」に詳細を書きました。

https://nekota-nekokichi.hatenablog.com/entry/2025/04/06/002925   併せてご覧ください。)

 

ちなみに…私が神事を務める際に

用いる御歌や神仕え舞は

神様への奉納ではありません。

神様方や自然と一つとなり

エネルギーの交流をして

その場を清めたり、結界を張ったり、

永らくお休みになっていらっしゃる神様に

目覚めていただいたり…etcのために使うのです。

 

 

では、歌や舞でないならば、

神様に奉るものというのは何なのでしょうか。

 

山火事事件があり、改めて、神様方にお詫びをすることの意味を考えていました。

 

お詫びを受け取ってもらうためには

人間の行いを清いものにする必要があるのではないか…と。

 

私たち人間は、

地球という神の星に生きているにも関わらず、

欲に囚われ、我に執われます。

善くしたいと思う気持ちがあったとしても、

どうしても矛盾を生んでしまいます。

 

この矛盾を少しでも軽減するために行う事は、

神様方へのお詫びでもあり、神様方に人間の善を見ていただく機会でもあります。

その『善なる行いが社会を作る基盤』となり、

善行により社会全体を動かしていくならば、

それは神々の意志に沿う生き方に繋がっていくのではないか…

そして、それこそが本来の政事なのではないかと思うに至ったのです。

 

 

神様を敬い崇めるための祭り(祀り)は

いつしか形骸化され、人間が楽しむために行われているところすらあります。

それはそれで良いことですが、

本来はそれだけではなかったはずです。

 

人間が神様方を敬い崇めることは

この地球に生き生かされている恩恵への感謝であるはずです。

 

昔の日本にはそれが当たり前にありました。

 

 

大自然への感謝

神々への感謝

仏様への感謝

先祖への感謝

それが当たり前にあった時代は

人の心はもっと豊かで

優しさや慈しみが自然にあったように思います。

 

自然と共に生きていられた時代は、

今ほどの矛盾は起こらずに済んでいたかもしれませんね。

 

 

とは言え、私たちは現代に生きています。

この現代において

神様方から信頼してもらえる存在に

なっていくためにはどうしたらいいか…

 

一人一人ができること

みんなで作り上げること

輪になって和になって

繋がっていけたらと願ってやみません。

 

 

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